「師弟の道」一筋に
いやまして
凱歌の行進
創価かな
「生きる」とは、どんなことがあっても、前へ前へ戦い進んでいくことだ。
何も決心せず、戦わなければ、気楽かもしれない。しかし、わびしく悔いを残す人生で終わってしまう。
「召し返されて後(のち)又経文の如く弥(いよい)よ申しつよる」(御書1413?、「妙法比丘尼御返事」)
新時代の幕は上がった。
それは、法華経に地涌の菩薩が「同時に涌出(ゆじゅつ)せり」(創価学会版法華経452?)と説かれたような壮大な絵巻ではあるまいか。
恩師・戸田城聖先生は、金剛不壊(ふえ)なる民衆の組織を築き、一切の戦いに勝利しゆくために、繰り返し私たち弟子に教えられた。
「団結第一でいけ!」
それは、「異体同心なれば万事を成(じょう)し」(御書1463?、「異体同心事」)との、大聖人の御指南通りの大行進であった。
異体同心の団結こそが、広宣流布の命脈である。
一家にあっては和楽を!
人と人の間には友情を!
地域には信頼と友好を!
心を合わせて仲良く進むのだ。団結のあるところに勝利があり、幸福がある。
第1次世界大戦の悲劇の勃発から100年──。後継の青年たちも「ヨーロッパは一つ」を合言葉に、誠に麗しい団結で人類融合の平和の未来へ前進している。こんな頼もしいことはない。
インドのマハトマ・ガンジーが非暴力の民衆運動への絶対の確信を固めていく上で、「私の師」と仰いだのは、ロシアの文豪トルストイであった。
若きガンジーは、南アフリカでインド系住民の人権闘争を推進する中で、トルストイの非暴力抵抗の信念と行動に学んだ。そして、仏教などインドに脈打つ不殺生の思想を現代に蘇らせ、不屈の民衆運動へと展開していったのだ。
戦う場所は離れていても心はつながる。ガンジーが南アから手紙を送り、深い共鳴を伝えると、トルストイは大変喜び、交信は3度に及んだのである。
トルストイは逝去の2カ月前に認(したた)めた手紙で、ガンジーの活動を、「それは地上におけるこんにちのあらゆる活動のうちでもっとも重要なもの」と賞讃した。
ガンジーがトルストイと直接会うことは一度もなかった。しかし、生涯をかけた自らの実践で、その言葉を証明し抜いたのである。
トルストイが亡くなって20余年が過ぎたある年。スイスで講演会に臨んだガンジーは、質問に答えて明言した。「トルストイは私の一生の師です」と。
ガンジーの非暴力運動は、その後、アメリカのキング博士の公民権運動や南アのマンデラ元大統領のアパルトヘイト(人種隔離)撤廃運動へもつながった。
非暴力の魂──この人類の宝が、国境や言語の壁を超えて輝き広がりゆく底流には、師弟という精神の道があったといえまいか。
今、私が対談を重ねているサイフェルト博士(オーストリア元文部次官・声楽家)が語られていた。
「(自身の師匠である)ヴァムザー先生の写真を見るたびに “あなただったら、どう思いますか” と心の中で話し掛けて、行動するようにしているのです」
私も、戸田先生ならば、どのように手を打たれ、友を、どう励まされるか──常にその一念で戦ってきた。
25歳の1月の日記にも自らに問いかけていた。
「恥なき師弟の道を、歩みきったか、否か」と。
私の胸には、いつも恩師がいる。会長就任の時も、世界への一歩を踏み出した時も、非難の嵐の中でも、わが生命の奥には師匠が厳然といらっしゃった。
「御義口伝」に、「師弟が感応し、仏の生命を自身の中に顕現して、 『如我等無異』 の文の如く、わが身仏なりと悟る。これが悟仏知見である」(御書717?、通解)と仰せである。
師である仏と、弟子である衆生が一体不二で誓願を立てて戦う──そこに仏法の師弟の真髄がある。
師を求め、師の心に迫りながら、弟子が広宣流布の誓願の題目を唱え、戦いを起こす。その弟子の生命には、師と同じ力と智慧が脈々と涌現してくるのだ。
30年前(1984年)の2月、私は逸(はや)る心でブラジルに飛んだ。18年ぶりの訪問だった。どうしても果たしたい約束があった。
その前年、鹿児島・霧島の研修道場でブラジルの男女青年部など代表38人と記念撮影をした折のこと、母国の全同志の心を代弁するかのように、「先生、ブラジルに来てください!」と必死の声が上がった。
私は即答した。「必ず行くよ! 広宣流布は私の生涯の使命だからね」
友は、この時の私の言葉を、わが誓いとしてくれた。
「私たちも生涯、広宣流布に生き抜こう!」と。
「今度は私たちがブラジルに平和の種を植え、希望と幸福の花園を広げていきます!」
学会の運動に深い関心を寄せてくださっていた、ブラジルの文豪アマード氏は高らかに謳(うた)い上げられた。
「民衆というものは、世界のいずれの港、いずれの波止場の近くにいても、いずれの空のもとにあっても同じなのだ。善良で強く、寛大で理解があり、自由と美と勇気を愛する」
民衆ほど、強いものはない。尊いものはない。
地球上のいずこであれ、「民衆の王者」たる、学会の同志の心は変わらない。
さあ「伝統の2月」──大いに祈り、動き、語ろう!
晴ればれと
今日も正義の
民衆は
師弟不二なる
勝利の道ゆく
−2014年1月29日付聖教新聞より−