項羽と劉邦(中)2
◎関中(かんちゅう)に入る
劉邦の人間について、
「生まれたままの中国人」
中国の長い歴史のなかで無名の農民から身をおこして王朝を建設したのは、劉邦以外にない。
「おのれの能(よ)くせざるところは、人にまかせる」
張良「いくさというものは、勝つための手だてを慎重にかさねてゆけばかならず勝つものだ」
張良「私が指揮しますと、二度三度は勝ちをおさめ、それにより士気もあがりますが、やがては別の要因で全軍に弛緩(しかん)があらわれます。それがもとで軍そのものを自潰(じかい)させることになるかもしれません」
中原とはいうまでもなく古代よりの漢民族の根拠地をさす。
兵が少数であるため活動を停止すると正体が露(あら)われてしまう。張良としては、絶えず進撃し突破し、敵を破摧することを繰りかえしていかなければならない。
趙高はこの世にうまれてみずからを去勢して宦官になったかわりに皇帝を一人つくり、王を一人つくった。つまるところ権力という白刃を素手でつかんで弄びつづけた。そのたぐいの者が、この大陸でこののち長くつづいてゆく歴史のなかで終りを全うした例はほとんどなく、趙高はその系列の歴史の最初をひらいた男といっていい。
◎こう門の会
「秦の法は、ことごとく撤廃する」
「法は、三章とする。すなわち人を殺す者は死刑、人を傷つける者、あるいは人の物を盗む者は、それぞれ適当な刑に処する。それだけじゃ」
「函谷関(かんこくかん)に兵をやって扉を鎖(とざ)してしまえは中原の軍勢はここに入ることができませね。それでもって関中王におなりになればよいではありませんか」