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法華経の7つの譬え

2013年09月28日 (土) 21:05

法華経展─平和と共生のメッセージ─
◎時空を越えて輝きわたる、仏法の「希望の哲学」を今ここに

九州講堂
平成25年9月18日〜10月14日
(木曜日休館)

リポート『法華経』の七譬(ひ)

(1)三車火宅の譬え
(さんしゃかたくのたとえ)
【譬喩品 第三】

1.一人の長者がいた。多くの財産と多くの子どもがあった。ある日、彼の屋敷が家事になった。幼い子どもらは遊びに夢中で、危険に気づかず、恐れもしていなかった。出てくるよう父が呼びかけても、聞かなかった。

2.そこで長者は、子どもの大好きな「羊車」「鹿車」「牛車」をあげようと誘った。子どもらは喜び勇んで「火宅」から出てきた。

3.長者は、約束した車よりもはるかに立派な、宝石で飾られた「大百牛車」を与えたので、子どもらは大喜びした。

「長者」=釈尊、
「火宅に遊ぶ子ども」
=この世で苦悩に焼かれている衆生、
「羊車」(ようしゃ)
「鹿車」(ろくしゃ)
「牛車」(ごしゃ)
=釈尊がさまざまに説いた教え
(声聞・縁覚・菩薩の三乗の教え)、
「大百牛車」(だいびゃくごしゃ)
=法華経(一乗の教え)
に譬えている。
仏教には膨大な教えがあるが、それらは「火宅」から民衆を救い出す手段(方便)であり、仏が真に与えようとしたのは「法華経」に説かれる一乗の教えであった。

『三界は安きこと無し 猶(な)お火宅の如し 衆苦は充満して 甚だ怖畏(ふい)す可し 常に生老病死の憂患(うげん)有り 是(かく)の如き等の火は 熾燃(しねん)として息(や)まず』

☆最高の智慧の教え『法華経』を求めよ


(2)長者窮子の譬え
(ちょうじゃぐうじのたとえ)
【信解品 第四】

1.長者の息子が幼くして家出した。父は長年、子を探し続けた。あるとき、長者の大邸宅に、困窮した姿の息子が偶然たどり着いた。しかし、長者の威容を畏れ、逃げ出してしまった。息子は父とはわからなかったが、父は息子が見つかって大いに喜んだ。父は、息子の卑屈さを憐れみながら、親とは名乗らずに息子を連れ戻し、手はじめに掃除人として働かせた。

2.長い年月をかけて、しだいに息子は慣れ、安心してきた。長者は、臨終を前に、多くの人を集めて真実を告げる。「実は彼は私の本当の息子なのです。彼に私の一切の財産を譲りたい」と。息子は驚き、大歓喜する。

「長者」=釈尊、
「困窮した息子」
=魔訶迦葉(まかかしょう)などの弟子たち、
「長者の財産」=成仏
に譬えている。
物語は、小乗の教えに執着し大乗の教えを求めなかった声聞の弟子たちに、釈尊が時間をかけて、さまざまな教えで導き、最後に無尽蔵の智慧を明かした「法華経」を与えることを示している。

『我れ等は今日 仏の音教(おんきょう)を聞いて 歓喜踊躍(ゆやく)して 未曾有なることを得たり 仏は声聞は 当(まさ)に 作仏することを得べしと説きたまう 無上の宝聚(ほうじゅ)は 求めざるに自(おのずか)ら得たり』

☆大歓喜の人生──仏の財宝をすべて継承


(3)三草二木の譬え
(さんそうにもくのたとえ)
【薬草喩品 第五】

「三草二木」(小の薬草・中の薬草・上の薬草と小樹・大樹)とは、草木の多様さを示している。草木は、同じ雨の恵みを受けても、それぞれの特性に応じて生長する。
「三草二木」
=能力や個性の違う多様な人々、
「雨」=仏の教え
に譬えている。
仏の教えは一つであるが、すべての人々は、能力や個性に応じて、それぞれに利益を得ることができると教えている。

『彼(か)の大雲(だいうん)の一切の卉木(きもく)・叢林(そうりん)、及び諸(もろもろ)の薬草に雨(あめふ)るに、其(そ)の種性(しゅしょう)の如く、具足(ぐそく)して潤(うるおい)を蒙(こうむ)り、各(おの)おの生長(しょうじょう)することを得るが如し』

☆仏の教えはすべての人々を平等に潤す


(4)化城宝処の譬え
(けじょうほうしょのたとえ)
【化城喩品 第七】

宝を求めて、険しい旅路を行く隊商の一行がいた。途中で疲れ果てた人々は、「もう帰る」と言い出した。
そこで指導者は、神通力で幻の城市(化城)を作り出し、「あそこまで行けば、ゆっくり休める」と励ました。
一行が前進し、化城で疲れをとった後、指導者は化城を消して、また励ました。
「さあ行きましょう。宝のある場所(宝処)は近くにあります」と語って、皆を目的地へと導いた。

「指導者」=仏、
「隊商の一行」=一切衆生、
「化城」=声聞・縁覚の涅槃の境地、
「宝処」=成仏
に譬えている。
この譬えは、仏が、仏の悟りという「宝処」に民衆を至らせるため、「化城」として、小乗の涅槃を説いてきたことを示している。

『汝等(なんだち)は怖(おそ)るること勿(なか)れ。退(しりぞ)き還(かえ)ることを得ること莫(なか)れ。今此(こ)の大城(だいじょう)は、中に於(お)いて止(とどま)って、意(こころ)の作(な)す所に随(したが)う可(べ)し。若(も)し是(こ)の城に入りなば、快(こころよ)く安穏なることを得ん』

☆仏はたくみな智慧で万人を導く


(5)衣裏珠の譬え
(えりしゅのたとえ)
【五百弟子受記品 第八】

1.ある貧しい男が親友に出あい、家に誘われ、酒や食事のもてなしを受けた。
そのうちに、眠り込んでしまう。

2.親友は公の仕事で出かけなければならなくなり「値段がつけられないほど貴重な宝の玉」(無価の宝珠)を、男の着物の裏に縫い込んであげた。

3.酒の酔いから醒めた男は、そのことに気づかず、また元の貧乏な生活に戻り流浪した。後に再開した親友は、男が貧しいままであることに驚く。

4.親友は男に、宝のありかを教え、「これからは何不自由ない人生を送ってください」と言った。

「親友」=仏、
「貧しい男」=声聞、
「無価(むげ)の宝珠(ほうしゅ)」
=仏の智慧
に譬えている。
この譬えは、万人は自身の胸中に「仏の智慧」という「無上の宝」をもっているが、愚かさ(無明)という酒に酔い、それに気づかず、苦しみ続けていることを示している。

『譬えば人有りて、親友(しんう)の家に至りて、酒に酔いて臥(ふ)せるが如し。是(こ)の時、親友は官事(かんじ)の当(まさ)に行くべきあって、無価(むげ)の宝珠(ほうしゅ)を以て、其(そ)の衣の裏に繁(か)け、之(こ)れを与えて去りぬ。其の人は酔い臥(ふ)して、都(すべ)て覚知(かくち)せず』

☆汝の無上の宝を自覚せよ


(6)髻中明珠の譬え
(けちゅうみょうしゅのたとえ)
【安楽行品 第十四】

1.転輪聖王(てんりんじょうおう)(正しく世を治める理想の王)は、悪の勢力と戦いつつ、兵士の戦功(せんこう)の大小に応じて、種々の褒美を与えた。

2.しかし、転輪聖王は自身の髻(もとどり)(冠を被るために束ねた髪)の中にある「明珠」だけは与えなかった。しかし、大光跡の兵士を見て喜び、はじめてこの明珠を与えた。

「転輪聖王」=仏、
「兵士」=仏弟子たち、
「種々の褒美」=爾前(にぜん)経(法華経以前のさまざまな教え)、
「髻の中の明珠」=「法華経」
に譬えている。
仏は人々を救済するためあらゆる法を説いてきたが、「法華経」だけは説かなかった。
しかし今こそ、仏がこの「諸経の王」である最上の教え、「法華経」を説き明かすことを示している。

『王は髻(もとどり)の明珠(みょうしゅ)を解(と)いて之(こ)れを与えんが如し。此(こ)の経な為(こ)れ尊(そん)。衆経の中の上(かみ)なり。我れは常に守護して、妄り(みだり)りに開示せず。今正(まさ)しく是(こ)れ時なり。汝等(なんだち)が為(た)めに説く』

☆無上の教え・法華経を今こそ説かん


(7)良医病子の譬え
(ろういびょうしのたとえ)
【如来寿量品 第十六】

1.ある名医(父親)が帰宅すると、子どもたちが毒を飲んで苦しんでいた。名医は最高の薬を与えたが、すでに毒気(どっけ)が深く入っていたため、薬を毒だと疑い、飲もうとしない子どもたちもいた。

2.父はこの子どもたちをあわれみ、「良い薬を置いておくから、飲みなさい」と言い残して、他国へ出かけた。

3.他国から使いが来て、「あなたたちの父は死んだ」と伝えた。父の死を聞いた子どもたちはみな驚き悲しみ、父を心から恋慕した。

4.子どもたちは悲しみによって心が目覚め、今は父の形見となった薬を飲むと、たちまち病が癒えた。それを聞いて、父はまた帰ってきたのである。

「良医の父」=仏、
「毒にあたって苦しむ子ども」=凡夫、
「父が死んだという報(しら)せ」
=仏の涅槃
に譬えている。
「如来寿量品」では、これまでの「始成正覚(しじょうしょうかく)」(釈尊は今世で成仏したという立場)の考えから、仏は三世にわたって、衆生の教化を続けている(「我れは常に娑婆(しゃば)世界に在って説法教化す」)という教えに転換する。
仏は、この現実世界で常に民衆を救い続けているのだが、涅槃(死)のすがたをあえてしめすことによって、民衆に仏を恋慕(れんぼ)させ、仏教へと導くのであると示している。

『父は是(こ)の念を作(な)さく、「此の子は憐(あわれ)む可し。毒の中(あた)る所と為りて、心は皆な転倒せり。我れを見て喜んで、救索(もと)むといえども、是(かく)の如き好(よ)き薬を毒だと、而(しか)も肯(あ)えて服(ふく)せず、我れはいま当(まさ)に方便を設(もう)けて、此の薬を服せしむべし」と』

仏は涅槃(死)をも手立てとして凡夫を導く
 


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