◎徳川 光圀(とくがわ みつくに)は、常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる[注 1]。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。
◎戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。
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0186〜0237 開目抄 0209:05〜0210:03
第34章 妙法蓮華経を釈す
本文
仏此れを答えて云く、「衆生をして仏知見を開か令めんと欲す」等云云、衆生と申すは舎利弗・衆生と申すは一闡提・衆生と申すは九法界・衆生無辺誓願度・此に満足す、「我本誓願を立つ一切の衆をして我が如く等しくして異なること無からしめんと欲す我が昔の願ぜし所の如き今は已に満足しぬ」等云云。
現代語訳
仏は答えていわく「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲する」と。この衆生というのは舎利弗であり、また衆生というのは一闡提。また衆生というのは九法界であって、「衆生の無辺なるを度せん」と誓願したことがここに満足した。ゆえに「自分は過去世に誓願して、いっさいの衆をして仏と等しくして異なること無からしめんと欲した。この昔の所願は今はすでに満足した」云云、と説かれているのである。