10月21日(水)
??フェルディナンド・マゼラン、マゼラン海峡に到達(1520)。エステバン・ゴメスが脱退したため、踏破は11月28日にずれこむ
??関ヶ原の戦い(1600)
??トラファルガーの海戦(1805)
後の英国海洋覇権の象徴となった
??明治神宮外苑競技場での第1回学徒出陣壮行会(1943)。
日本放送協会によって中継され、映画化された
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◎朝36.7度
熱はほぼ下がり、9:15済生会を受診して、そのあと出勤します??
病院で36.5度
レントゲン………前回の肺炎の症状も綺麗に取れているとの事。
発熱の原因は………
妻は「福岡市にあんまり行くけんたい! もう行きなさんなよ!!」
と言うけれど本当の原因は………
「ジムの体洗い場」??
のようです。
先月のPCR検査となった時以来、夕方風呂に入り、ジムでは軽くシャワーを浴びる程度にしていたのですが、先週の土曜日には福岡市からジムに直行して、最後は体を洗って帰りました。
「ジムの体洗い場」は結構“密”になっています。
◎eLTAX(地方税ポータルシステム)
やっとうちの事務所も導入。隣の妹の席で、皆で何をやっているのかと思ったら………「あ〜ぁ」
eLTAX(地方税ポータルシステム)のインストールと打ち合わせ。
所長の私はもう完璧に皆におまかせです。
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◎夜
私「俺は怒らんようになったというけど、奥さんは強くなったあ??」
妻「女優でおらんといかんというけど難しかもん」
娘「お父さんは夜の世界の綺麗な女性が大好き」
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◎日本学術会議
新しい会員候補6人の任命を拒否した政府の対応
納得できない 47%
納得できる 32%
(読売10.19)
☆私は“健全な” 納得できる 32%の方だ。
◎「通信網の中国排除 不参加」
(読売10.16)
凄い決断?
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【一年前】
台湾映画特集 ………台湾映画2本。(今年55本目)
一本目はロマンチックなラブストーリー、セクシーな台湾女優にウットリ。?
2本目は台湾社会の実相を表現した映画、若い頃の夫婦喧嘩しまくっていた頃を思い出しました。??♀?
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【二年前】
◎「まんぷく」
濡れ衣一件落着?
友は男を上げた?
松坂慶子の演技はさすが最高、面白い??
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◎「本当の決意を込めた題目をあげよ」
(寸鉄10/19)
◎「自分の心を鏡のように映すものがある
………『身近な他者』………」
(名字の言10/19)
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【三年前】
◎19日上積み3件?
??司法書士「うちは4人全員『比例公明』でもう入れて来ましたよ?」
??縫製業
倒産の危機以来10年ぶり
私「わ、奥さん、今もそんなに可愛くされて?」
奥さん「何言ってるんですか、猿渡さんの奥様もお綺麗ではありませんか」
社長「所長、お若いですねえ?」
??広告代理店
社長「比例公明ですね、もうあっちこっちから頼まれましたよ?」
私「重なると福来るですよ?」
「確定申告の12月広告どうしましょう」
「あ、それはしましょうかね」
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ブラジル広布60周年に寄せて――医師・元連邦下院議員
エドアルド・ジョルジェ氏
●心の変革促す対話運動に期待
私が池田博士に対して、尊敬の念を抱く最大の理由は何か?――それは“平和な社会の建設といっても、全ては一人の心の変革から始まる”との「人間革命」の理念を掲げ、その哲学を世界中に広げた点にあります。
世間一般の改革者といわれる人たちは、概して政治や経済、社会等のシステム――つまり、「大きな枠組み」を変えることに力を注ぐものです。もちろん、そのこと自体を否定するつもりはありません。しかし、いくら制度を整えたところで、人々の心や考え方が変わらなければ、改革への流れを確固たるものにすることはできない。砂上の楼閣と化す可能性すらあります。
ブラジル広布60周年――師と共に歩んだ歴史
ブラジルの格言に、こうある。
「逆境が英雄をつくる」
ブラジルの同志もまた、障壁が立ちはだかるたびに師弟の絆を強めながら、世界広布の王者として模範の前進を続けてきた。
1960年10月、池田先生がブラジルを初訪問。その折、先生は新任の幹部に“リーダーとして大切なのは後に続く同志のために、ブラジルの土になるのだという決意である”と語った
池田先生がブラジルを初訪問したのは1960年10月19日。日本の約23倍という広大な国土に、当時は100世帯ほどの会員が点在しているだけだった。日本から移住した彼らは、誰もが貧困や差別などで過酷な生活を強いられていた。
この訪伯前、先生は滞在先のアメリカで体調を崩していた。初の海外指導は、北南米の3カ国9都市を24日間で回る強行軍。同行者からは、ブラジル行きを止められた。しかし先生は毅然と答えた。
「私を待っている同志がいる……行く、絶対に行く。もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」
会員のためならば、命をもなげうつ。深い覚悟をもって入国した先生の励ましに触れ、草創の友は奮い立ち、広布開拓に走った。
●1966年3月、2度目の訪問。友に“強い、強い団結のブラジル、楽しい、楽しい信心のブラジルに”と呼び掛けた
先生の2度目の訪問は66年3月。わずか5年半の間で、同国の会員は約8000世帯へと躍進を遂げていた。
74年にも訪伯する予定があったが、軍事政権下で学会に対する誤解もあり、ビザが発給されず、入国できなかった。先生は電話越しで現地のリーダーに言った。「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」
以来、同志は「ムイト・マイス・ダイモク(もっとたくさん題目を)!」を合言葉に新たな挑戦を開始。良き市民を目指し、社会貢献に励んできた。
翌75年、ブラジルSGIはブラジリア連邦区の要請を受け、文化祭を開催。その模様が新聞に大きく報じられ、徐々に社会の見方が変わっていく。
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開目抄 0207:10〜0208:10
第32章 菩薩等について爾前無恩を明かす
本文
阿含・方等・般若の時・四教を仏の説き給いし時こそ・やうやく御弟子は出来して候へ、此も又・仏の自説なれども正説にはあらず、ゆへ・いかんとなれば方等・般若の別・円・二教は華厳経の別・円・二教の義趣をいでず、彼の別・円・二教は教主釈尊の別・円・二教にはあらず、法慧等の大菩薩の別・円・二教なり、此等の大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども仏の御師とも・いゐぬべし、世尊・彼の菩薩の所説を聴聞して智発して後・重ねて方等・般若の別・円をとけり、色もかわらぬ華厳経の別・円・二教なり、されば此等の大菩薩は釈尊の師なり
現代語訳
阿含・方等・般若の時、蔵・通・別・円の四教を釈尊が説いた時にいたって、ようやく弟子ができてきたのである。これもまた釈尊のみずから説いた教えではあるが正説ではない。なぜならば、方等・般若の別円二教は華厳経の別円二教の範囲を出ていない。すなわち、これらの別円二教は、教主釈尊の教えではなくて法慧菩薩等の教えである。これらの大菩薩は、人目には釈迦仏の弟子であるかのように見えるけれども、かえって釈迦仏の師ともいうべきである。釈尊は、華厳の時に、彼の菩薩が説いた説法を聴聞して智慧を啓発してのち、かさねて方等・般若の別円をといたのである。方等・般若の別円は、華厳の別円とまったく同じである。であるから、これらの大菩薩は釈尊の師である