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◎池田大作研究/佐藤優〈第40回〉
『宗門の攻撃をはねのけ 反転攻勢への助走』
宗門からの創価学会攻撃は、ある発言を契機に激しさを増した。
池田は、未来のための積極的な選択として、会長辞任を決めた。
池田はこの事態を世界宗教への過程で避けられない難と考えた。
●宗門による学会攻撃の格好の材料となった
宗門が問題にしたのは、三月六日に福岡県大牟田で、宗門との和合を図るために開かれた会合での、鮫嶋の無責任な発言であった。彼は、それまでも非常識な原動で、純真な九州の同志を苦しめることが多々あった。
『わざわい(禍)は口を出でて身をやぶる』
傲りと油断は禍を生み、自分の身を破る。そればかりか、広宣流布をも破ることになるのだ。一人の幹部の軽率極まりない発言が、信徒を隷属させようとする宗門僧による学会攻撃の、格好の材料となっていった。広布の航路は、常に激浪の海原である。
●会長辞任の重大な決断 大切な学会員を守るため
池田の創価学会会長辞任は、創価学会員にとって痛恨の極みであった。宗門からの不当な攻撃に対して恩師である池田を守ることができなかったからだ。しかし、池田は、この事態を勝利に向かっての試練であると創価学会員に訴えた。
●日蓮の遺志を継承し 広宣流布を実践する
山本伸一は、四月二十四日付の「聖教新聞」一面に所感「『七つの鐘』終了に当たって」と題する一文を発表した。
日蓮の教えを継承するのは、僧が上、一般信徒は下などという権威主義に凝り固まった宗門ではない。創価学会こそが日蓮の遺志を継承し、末法広宣流布を実践しているという立場を鮮明にした。
文豪トルストイ
「宗教は、過去に於けると同様に、人間社会の主要な原動力であり、心臓であることに変わりない」
1974年4月24日、池田は創価学会第3だ代会長を辞任し、名誉会長に就任した。
80年4月29日、5度目の訪問となった中国から、先生は長崎空港に降り立たれます。
帰国を報じる翌日の聖教新聞1面には「名誉会長は、長崎のあと福岡、関西、中部の会員の激励・指導に当たる予定になっている」
まさに、長崎に降り立たった時から、先生の「反転攻勢の助走」が始まったのです。
●名誉会長の予定も報道 歓喜の激震が走った
中国は大発展を遂げていくだろうし、また、世界は、激動、激変していくでしょう。それだけに、仏法の平和思想、人間主
義の哲学を、広く世界に発信していかなくてはならない。
「聖教新聞」の記者
「帰国報道のほかに、先生が長崎文化会館で長崎支部結成二十二周年記念幹部会に出席されたことも、記事にしたいと思います」
「かまいません。事実を隠す必要はない。創価の師弟が分断され、不二の心が失われていけば、広宣流布はできない。だから私は、同志と共に戦いを開始します。私の今後の予定も発表しよう。さあ、反転攻勢だ? 戦闘開始だよ?」
池田の指導によって、創価学会は宗門の謀略を打ち破って、新たな道を着実に歩み始めた。