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66歳で始めたカフェが、みんなの居場所になるまで
連載〈危機の時代を生きる〉
毎日コツコツ、一歩ずつ
明治から4代続く「ヤマヤ鉄工所」の敷地内に、おしゃれなカフェ「ヤマヤ・スティール・コーヒー」がある。
昨年3月のオープン時、藤原さんは66歳だった。「人生100年時代なんていわれるでしょ。60歳を超えて“やれやれ”じゃなくて、何か挑戦せなって」
店先では、コーヒーを注ぐように動く、鉄板のロボットがお客を迎える。看板やベンチから内装まで、夫・通央さん(71)=副支部長=が鉄工所を営んできた技術を生かして、手作りしてくれた。
藤原さんが「鉄のボルトの人形なんて、おかしいでしょ」と笑うと、通央さんは「アートじゃ」と一言。
そんな夫妻の人柄に引かれるように、開店当初から地元の人たちが通ってくれた。
◇◇
大学生になった“元常連客”の子も来てくれた。コロナ禍にあって、「IT(情報技術)を勉強して、使い方をよく知らない人にも分かるように教えたい」と言われ、藤原さんは「私が一番に生徒になりたいわ」と。
最近、ふと思うことがある。
「この店は、私が創価学会で教わってきたことの“集大成”なんだって」
先に信心を始めた義母に続いて、藤原さん夫妻は1978年(昭和53年)に学会に入会した。
真っすぐに信心に励み、支部婦人部長、本部長、圏婦人部長として広布一筋に駆けてきた。
昨年、右も左も分からないまま、カフェ経営を始めてからも、学会での経験が全て生きている。
毎日、早朝に起き、1時間の唱題から1日をスタート。「いろんなお客さんを迎えて、話を聞くには、こっちの生命力が大事だから」
◇◇
オープンから1年半、藤原さんが走り続けてきたのには、理由がある。
昨年1月、次男が亡くなった。
次男を中心にカフェの開店に向けて、準備を進めていた時だった。
突然、わが子を失い、言い表すことのできない悲しみのどん底で、次男が作った店のロゴマークが目に留まった。
「あの子の夢だったカフェは、私が実現してみせるって思ったんです」
店は、1カ月遅れでオープンした。心の整理がつかないまま、「ずっと祈って、店を開いて」。慌ただしい日々が過ぎていく。
毎日のように通ってくれる、近所のお年寄りがいた。妻を早くに亡くし、病気も経験して独りで暮らす壮年だった。
ある日、ぽろっと「今日が誕生日なんだ」。すると、店に居合わせた高校生たちが“ハッピー・バースデー”の歌を歌ってくれた。
「うれしい!」と、壮年は両手でVサイン。店に広がる笑い声に、藤原さんは心がふっと軽くなったように思えた。
池田先生はつづっている。
「人生には、涙が枯れるほど泣くような辛い出来事もあります。消し去ることのできないような悲しみもある。心に溢れて抑えきれない嘆きもあります。普段は気を張って頑張ることができても、ふと涙が止まらなくなる時もあるかもしれない」
「生老病死の苦悩から無縁の人間は誰一人いません。また同時に、その苦悩を乗り越えゆく生命の無限の可能性――仏性を具えていない人間もいないのです」
「ウサギとカメの話ってあるでしょ。カメは“勝とう”なんて思ってなかったんと違いますか。ただ、一歩一歩、前へ前へと歩いていただけやったと思う。“毎日コツコツ、精いっぱいに生きる”。それが、私が学会で教えてもらった生き方です」