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2020.10.3-7

2020年10月02日 (金) 08:28

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◎アレシアの戦い(アレシアのたたかい、ラテン語: Alesiae pugna、仏: Siège d'Alésia)あるいはアレシア包囲戦は、紀元前52年の8月から10月にかけてガリア総督ガイウス・ユリウス・カエサル率いるローマ軍と、アルウェルニ族のウェルキンゲトリクス率いるガリア人連合軍との間で行われた戦闘である。古代ローマにおける包囲戦の中では、最も大規模なものの1つであった。

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0186〜0237 開目抄 0204:17〜0206:14 
第30章 昔の弾訶を引証す

本文
堪べしとも・おぼえざりしに又うちそうわざわいと仏陀にもうちそい・がたくて・ありしなり、人天大会の衆会の砌にて時時呵嘖の音をききしかば・いかにあるべしとも・おぼへず只あわつる心のみなり、其の上大の大難の第一なりしは浄名経の「其れ汝に施す者は福田と名けず汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云、文の心は仏・菴羅苑と申すところに・をはせしに梵天・帝釈・日月・四天・三界諸天・地神・竜神等・無数恒沙の大会の中にして云く須菩提等の比丘等を供養せん天人は三悪道に堕つべし、此等をうちきく天人・此等の声聞を供養すべしや、詮ずるところは仏の御言を用つて諸の二乗を殺害せさせ給うかと見ゆ、心あらん人人は仏をも・うとみぬべし、されば此等の人人は仏を供養したてまつりしついでに・こそ・わづかの身命をも扶けさせ給いしか、

現代語訳
まったく堪えられないほどの難を受けている上に、さらに釈尊からも不成仏の者と嫌われていた。人天大会の説法の座で、時々呵責の声を聞くのでどうしてよいかもわからず、あわてる心のみであった。その上、これらの中で第一の大難は、浄名経に「声聞の弟子たちに布施する者は福田と名づけず、ただかえって三悪道に堕ちる」と説かれていることである。文の意は、仏が菴羅苑という所にいた時に、梵天・帝釈・日月・四天・三界の諸天・地神・竜神等、無量無数の大会の中において、説法していわく、「須菩提等の比丘等を供養する天人は三悪道に堕ちるべし」といったのである。これを聞いた天人たちは、これらの声聞に供養するはずがない。結局は仏のお言葉をもって、もろもろの二乗の弟子を殺害されるのかとすら思われた。心あらん人々はかえって釈迦仏をも、うとんだであろう。されば、これらの人々は仏を供養し奉るついでにこそ、わずかの供養を得て身命を保っていたのであろう。?


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