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2020.10.1-6

2020年09月30日 (水) 00:12

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0186〜0237 開目抄 0204:17〜0206:14 
第30章 昔の弾訶を引証す

本文
此れをもつて思うに今諸の大声聞は本と外道・婆羅門の家より出でたり、又諸の外道の長者なりしかば諸王に帰依せられ諸檀那にたつとまる、或は種姓・高貴の人もあり或は富福・充満のやからもあり、而るに彼彼の栄官等をうちすて慢心の幢を倒して俗服を脱ぎ壊色の糞衣を身にまとひ白払・弓箭等をうちすてて一鉢を手ににぎり貧人・乞丐なんどの・ごとくして世尊につき奉り風雨を防ぐ宅もなく身命をつぐ衣食乏少なりし・ありさまなるに五天・四海・皆外道の弟子・檀那なれば仏すら九横の大難にあひ給ふ、所謂提婆が大石をとばせし阿闍世王の酔象を放ちし阿耆多王の馬麦・婆羅門城のこんづ・せんしや婆羅門女が鉢を腹にふせし

現代語訳
これをもって思うに、今もろもろの大声聞は外道の婆羅門の家から出ている。また、もろもろの外道の長者であったから、諸国の王に帰依され、多くの檀那に尊ばれていた。あるいはその種姓が高貴の人もあり、あるいは富福が充満している者もあったのである。しかるに声聞の弟子たちは、これらの栄官等を打ち捨て慢心を打ち捨て折り伏せ、俗服を脱ぎ薄墨色の糞衣を身にまとい、白払・弓箭等をうちすて一鉢を手ににぎり、貧乏人や乞食のようになって釈尊にしたがったのである。風雨を防ぐ宅もなく、身命をつぐ衣食も乏しくて、難行・苦行をかさねたのである。その上、全国はこぞってみな外道の弟子・檀那であったから、釈尊すら九度も大難にあわれた。すなわち提婆が大石を転がして殺害しようと企て、阿闍世王は釈尊が乞食に出た時に酔象を放って殺そうとし、阿耆多王は九十日の間、馬の麦を釈尊と弟子に与えた。婆羅門城下を乞食した時は、下婢より腐った食物を与えられ、旃遮婆羅門の女が鉢を腹にふせて、釈尊の子供を生むのだといって誹謗し等々の難を受けたのである。


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