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0186〜0237 開目抄 0204:17〜0206:14
第30章 昔の弾訶を引証す
本文
世尊・鹿野苑にしては阿含経を讃歎し二百五十戒を師とせよなんど慇懃にほめさせ給いて、今又いつのまに我が所説をば・かうはそしらせ給うと二言・相違の失とも申しぬべし、例せば世尊・提婆達多を汝愚人・人の唾を食うと罵詈せさせ給しかば毒箭の胸に入るがごとく・をもひて・うらみて云く「瞿曇は仏陀にはあらず我は斛飯王の嫡子・阿難尊者が兄・瞿曇が一類なり、いかにあしき事ありとも内内・教訓すべし、此等程の人天大会に此程の大禍を現に向つて申すもの大人・仏陀の中にあるべしや、されば先先は妻のかたき今は一座のかたき今日よりは生生・世世に大怨敵となるべし」と誓いしぞかし
現代語訳
世尊は初めて成道した時、鹿野苑において阿含経を讃歎し、二百五十戒を師として修業せよなどと、ねんごろにほめさせ給うておきながら、今また、いつの間に自分の所説を、このようにまでそしり、声聞の弟子を弾呵されるのであろうか。一仏二言で前後の相違する失というべきである。たとえば、世尊は提婆達多を「汝は愚人で、人の唾を食う」と罵詈されたので、提婆は毒の箭が胸に食いいるごとき思いで怨んでいわく「釈迦は仏ではない。自分は斛飯王の嫡子であり、阿難尊者の兄で、釈迦とは従兄弟の仲にある。どんなに悪いことがあったからとて、内々に教訓すべきである。これほど大衆の面前で一族の者を痛罵するような非常識の者は、大人とか仏陀の中にありえないであろう。されば、釈迦出家以前には恋人を奪われた敵であり、今は一座の敵である。今日よりは生生・世世に、必ず釈迦の大怨敵となるべし」と誓ったのである。