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◎総本部「創価宝光会館」がオープン
原田会長らが出席しテープカット行う
●かつて池田大作先生は、総本部の整備について語った。
「皆さんが堂々と、友人を創価学会へ招けるように。『創価学会を見よ!』と胸を張って歩んでいけるように――これが私の思いである」「生まれ変わったような、世界一の『創価城』『広宣城』をつくっていく。海外から来られた方々も、悠々と、ゆっくりできるような『本陣』を、一段と整備していく」
●三世永遠の幸福境涯開く
【御文】
先臨終の事を習うて後に他事を習うべし(御書1404ページ、妙法尼御前御返事)
【通解】
まず臨終のことを習って、後に他のことを習うべきである。
【小説の場面から】
<1976年(昭和51年)7月、山本伸一は、女子部の代表に、「生老病死」の問題について語る>
「いかなる人間も、死を回避することはできない。(中略)トインビー博士も、対談した折に、しみじみと、こう語っていました。
――人間は、皆、死んでいく。生死という冷厳な事実を突き付けられる。しかし、社交界で遊んだり、それ以外のことを考えたりして、その事実を直視せずに、ごまかそうとしている。だから、私は、日本の仏法指導者であるあなたと、仏法を語り合いたかった。教えてもらいたかった。
死という問題の根本的な解決がなければ、正しい人生観、価値観の確立もないし、本当の意味の、人生の幸福もありません」(中略)
「その死の問題を、根本的に解決したのが、日蓮大聖人の仏法です。
広宣流布に生き抜くならば、この世で崩れざる幸福境涯を開くだけでなく、三世永遠に、歓喜の生命の大道を歩み抜いていくことができるんです。(中略)
広宣流布のための人生であると心を定め、強盛に信心に励んでいくならば、わが生命が大宇宙の根本法たる妙法と合致し、あらゆる苦悩を悠々と乗り越えていくことができるんです。信心に励んでいる生命の大地には、福運の地下水が流れていく。大風や日照りの日があっても、やがては、その生命の大地は豊かに潤い、幸の実りをもたらします」
(「敢闘」の章、291〜292ページ)
●題目は苦難克服の原動力
【御文】
南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり(御書1143ページ、四条金吾殿御返事)
【通解】
南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はない。
【小説の場面から】
<76年(同51年)8月24日、山本伸一は、九州総合研修所近くの二総ブロック合同の代表者勤行会へ。信心根本に歩む大切さを訴える>
「法華経には、『現世安穏、後生善処』(現世安穏にして、後に善処に生ず)とあります。しかし、広宣流布の道には、さまざまな難が競い起こってきます。また、人生は、宿命との戦いともいえます。
現世安穏というのは、なんの波風もない、順風満帆の人生を生きるということではありません。怒濤のように諸難や試練があっても、勇敢に、一歩も引かずに戦い、悠々とそれを乗り越えていける境涯をいいます。
何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿が、現世安穏ということなんです。途中は、いかに波瀾万丈でも、それを勝ち越え、晩年に、しみじみと、わが人生は現世安穏なりと、実感していくことが大事です。そのためには、どんなことがあっても、一生涯、学会から、御本尊から離れず、題目を唱え抜いて、勇んで、広宣流布に生き抜いていくことです。(中略)
たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、“絶対に負けるものか!”と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が湧きます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです。
題目、題目、題目です。誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていく――それが、一切の原動力です」
(「敢闘」の章、365〜366ページ)
●ここにフォーカス 恩師記念室の淵源
「敢闘」の章に、恩師記念室の設置の淵源が詳細につづられています。
1953年(昭和28年)、学会本部が東京・千代田区の西神田から、新宿区の信濃町に移転。この折、恩師・戸田先生は会長室よりも立派な一室を「牧口先生のための部屋」とし、「牧口記念室」と定め、先師の写真を大切に飾りました。
「学会を永遠ならしめるために、師匠の魂魄を永遠にとどめる場所をつくらねばならない」――この戸田先生の構想を継ぎ、各地に初代・第2代会長の遺品等を展示した記念室の設置を提案したのが、池田先生でした。
先生はそれまでにも、未来を見据え、戸田先生の映像を動画として残すことを考え、重要な行事を映画フィルムに収めることを推進。戸田先生の逝去後には、恩師の講義などのレコード製作を進めます。「すべては、師匠の真実の姿を永遠に残し、その精神を、誤りなく伝えたい」との「一念から発したもの」でした。
2010年(平成22年)5月3日、総本部に「創価学会恩師記念会館」が誕生。「世界平和の日」50周年に当たる同年10月2日には、池田先生が初めて訪問し、牧口先生、戸田先生の崇高な生涯を偲んで、勤行・唱題しました。
日々、心に師をいだき、“師ならばどうするか”を考え、行動する――ここに、弟子の証しがあるのです。