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2020.9.14-7

2020年09月13日 (日) 08:21

◎生麦事件(なまむぎじけん)は、江戸時代末期(幕末)の文久2年8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件。

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0186〜0237 開目抄 0202:01〜0203:09 
第27章 経文一一に符合するを明かす

講義

 しかるに、法華経第五の巻・勧持品の二十行の偈は、日蓮だにもこの国に生まれずば、ほとんど世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は、提婆が虚誑罪にも堕ちぬべしの文について考うるに、次下の文は、大聖人が勧持品の偈に符節を合わせており、かつ大聖人在世の仏教界の現状は、また二十行の偈に読まれているのである以上、仏には妄語なく、また大聖人は法華経の行者であること疑いない。かつ、「例せば」において仏に妄語なきを説かれ、大聖人が法華経の行者なるを確信せるを立証せられているのである。されば当時の責めは耐うべくもなけれども、未来の悪道を脱すらんとをもえば悦びなりとおおせられて、強き強き法華経の行者なりとのおおせは、みずから仏なりとのおおせと拝すべきである。
 ここに日蓮門下の考えねばならないことは、大聖人は法華経の行者、すなわち末法の御本仏である以上、顕仏未来記に大聖人の仏法を予言せられている点である。末法において真の仏法はただ一つであり、ひとまず東洋へ広宣流布するとの予言に対して、門下生は仏のことばを妄語にしてはならぬのではないか。深く考うべきは、このことである。


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