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2020.8.11-5

2020年08月10日 (月) 13:05
2020.8.11-

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〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く?部〉
第17回 「大衆とともに」――公明党の結党?

◆樺澤 公明党は、生命・生活・生存を最大に尊重する「中道政党」として、1964年(昭和39年)11月17日に結党されました。以来56年。現在は与党として政権の一翼を担い、未曽有のコロナ禍にあって、一律10万円の特別給付金や大学生への緊急給付金をはじめ、ウイルス対策として25本を超える提言を出すなど、「希望の灯台」として、存在感を増しています。今回からは、国民の命と暮らしを守る公明党の原点を確認していきたいと思います。


◇原田 小説『人間革命』第9巻「展開」の章には、戸田先生の展望を通して、学会が政治に強く関わりを持ち始める理由が記されています。
 「広宣流布は、創価学会の会員の拡大だけを意味するものではない。御本尊を受持して信心に励んだ人は、まず、人間として自己自身を革命することは当然のことだ。革命された個人は、自己の宿命をも変え、家庭をも革新する。このような個々人の集団というものは、地域社会にも、一つの根本的な変革をもたらすはずである。いや、地域社会ばかりではない。それらの個々人は、あらゆる社会分野に英知の光を放ち、変革の発芽をもたらしていくであろう」
 「人間革命」の原理に基づいた極めて重要な指針です。

●「新しい運動の堂々たる一歩」
 ◆西方 初めての選挙となった、55年4月の統一地方選では、54人の文化部員が立候補し、53人が当選しています。
 当時は、自民党と社会党による、なれ合いの堕落政治ともいわれる「55年体制」が始まるタイミングです。この時に、「民衆」のための政治を志し、学会が政治に関わったことは、大きな意義があると思います。
 また、苦しんでいる庶民の声を直接届けられる、地方議会から出発したことも注目すべき点であると思います。
  
 ◇原田 当時は東西冷戦下にあり、資本主義陣営と社会主義陣営のイデオロギー対立がそのまま日本に持ち込まれ、不毛な対決型政治が続いていました。金権政治や、選挙での買収も横行し、「造船疑獄」などの大型贈収賄事件なども頻発していました。
 そうした腐敗堕落した政治状況を、戸田先生は深く憂慮されていたのでしょう。
 財界・大企業を擁護する当時の保守政党、大組織の労働者の利益ばかりを優先する革新政党からは、多くの苦しむ「庶民・大衆」が置き去りにされていました。今こそ、そうした人々に光を当て、民衆不在の政治を変えていかねばならない――。ゆえに、国政から挑戦するのではなく、「庶民・大衆」に一番身近な地方議会から出発されたのだと思います。
  
 ◆西方 創価学会が政治に関わりをもつようになったことで、無理解による反発が起き始めます。しかし、国際宗教社会学会の会長を務めたドブラーレ博士は、「宗教団体が、その信条に基づいて『社会は、このままでよいのか』と問題提起し、政治に影響を与えるのは当然のことです」と述べています。
 また、インド独立の父ガンジーは、「現実の問題を考慮に入れず、問題の解決に役立たない宗教は、宗教ではない」「宗教なき政治は(中略)生命を失ったシステムである!」と喝破しています。


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