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徳之島に暮らす、7カ国語を話すアルゼンチン人
連載〈危機の時代を生きる〉
鹿児島市の南約500キロ、奄美群島の中央にある徳之島。この島に、アルゼンチン出身の地区部長がいる。
ギジェルモ・ラミレスさん(47)は、創価大学で工学博士号を取得したコンピューター・セキュリティーの専門家。しかもスペイン語、英語、日本語をはじめ、7カ国語を使いこなす。
●人生の価値は、人のつながりの中に
ラミレスさんは、島内の高校で非常勤講師を務め、情報科の授業を担当。二つの保育園でも英語を教えている。
昨年2月には会社を設立。コンピューター・セキュリティーの研究開発と多言語のウェブサイト制作などを手掛ける一方、語学教室やパソコン教室も運営し、子どもから高齢者まで、多くの生徒が集まる。
教育に携わるのが、ずっと夢だった。自分が磨いてきたIT(情報技術)と語学を教えられることが、うれしくて仕方がない。
「今は、デジタルの時代でしょ。ITと語学のスキルを身に付ければ、どこにいても、世界を相手に仕事ができる」
高校卒業後、就職や進学で島を離れる子どもは多い。「僕は、徳之島にいながらでも、夢をかなえられるようにしてあげたいんだ」
この島の風景は、どこか故郷と似ている――。
1987年(昭和62年)、父・ドミンゴさんが心臓発作で他界。父は生前、家族の中で一人、SGI(創価学会インタナショナル)の活動に励んでいた。
父亡き後、一家で信心を受け継ぐ。当時、地元の町にはSGIメンバーは4人しかいなかった。会合参加も40キロ離れた隣町へ。
14歳のラミレスさんも母と折伏に励み、2年ほどで町のメンバーは約10倍になった。
「クラスメート全員に語ったよ。成績もどんどん伸びて、地元の難関大学にも進めた。信心の功徳だね」
99年、26歳の時に日本でのSGI青年研修会に参加。期間中、創価大学を訪問し、“池田先生が創立された大学で学び直したい”と誓う。
帰国すると、半年後の留学を目指して、税務署の仕事に加え、学校の講師とプログラミングのアルバイトも掛け持ちし、学費をためた。
日本へ旅立つ直前、父が世話になったSGIの壮年にあいさつに行った。
「お父さんは“息子を創価大学に行かせたい”と、いつも語ってたんだよ」
初めて知る亡き父の夢――涙が込み上げた。
●本部幹部会の席上、池田先生はラミレスさん?を包み込むように激励した(2006年9月、東京牧口記念会館で)
そんな2006年9月。父を亡くし苦学するラミレスさんの様子を聞いた創立者・池田先生の提案で、父母の名を冠した“夫婦桜”が創大構内に植樹されることに。
ラミレスさんは植樹の当日、本部幹部会にも参加した。
会合の席上、先生はラミレスさんを壇上で抱き締めた。「全部、分かっているよ。頑張るんだよ」。何度も肩をたたき、励ました。
◇◇
だが、ビジネスは熾烈な競争の世界。都会の暮らしは人間関係が希薄で、会社では文化の壁も感じた。
“自分は何のために日本に来たんだ……”。帰宅すると毎晩、部屋で一人、遠く離れた故郷を思った。
◇◇
創価大学の開学の日に、創立者・池田先生は、「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」との二つの指針を学生に贈った。
ラミレスさんも、この言葉をずっと大切にしてきた。