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2020.8.9-6

2020年08月08日 (土) 12:14
2020.8.9-6

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◎傾斜の克服
1935年、地下水が地盤をやわらかくしてしまうのを防ぐため薬液を注入して地下水の浸入を止めようとする応急処置がとられた。しかし、現場の地盤は鋭敏比(詳細は土質力学の項を参照)が非常に高く、攪乱によって強度が著しく低下し、沈下は更に進んでしまった。1960年代、現地の地下水汲み上げによって地下水位が下がり、またも傾斜進行という危機を迎え、1964年2月27日ついに、イタリア政府はピサの斜塔を崩壊から回避するための支援を求めた。

1990年1月7日、安全上の問題により公開を休止し、傾斜角を是正するために改修工事が行われた。当初は沈み込んだ側と反対の北側におもりを載せることでバランスをとろうとしたが、根本的な解決には至らなかった。その後、改修工法には世界各国の建設会社から様々な提案がなされたが、最終的に、北側の地盤を掘削するという工法が採られた。他にも、薬液を注入して地盤改良を行うなどの案もあったが、透水性の低い粘土層への注入は難しく、強引に注入すれば攪乱が起こり前述の鋭敏比の問題は避けられなかった。そして2001年6月16日、10年間にわたる作業が終了し公開は再開された。

2008年5月28日、監視担当のエンジニアで地質学者でもあるミケレ・ジャミオルコウスキ教授により、少なくともあと300年は倒れる危険がないとの見解が示されている。

◎完成後のシスティーナ礼拝堂で最初のミサが執り行われたのは1483年8月9日である。このミサは聖母被昇天に捧げられたもので、システィーナ礼拝堂が聖母マリアに奉献されることを公表する式典でもあった[4]。現在でもシスティーナ礼拝堂はさまざまな式典や行事などに使用されており、ローマ教皇が外遊などで不在の場合を除いて、ローマ教皇庁の公式行事の重要な開催場所である。世界最古の聖歌隊の一つであるシスティーナ礼拝堂聖歌隊 (en:Sistine Chapel Choir) は、ルネサンス期に作曲された合唱曲を現在にそのまま伝えており、なかでもローマ楽派の作曲家グレゴリオ・アレグリの『ミゼレーレ』がとくに有名な楽曲となっている[7]。

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0186〜0237 開目抄 0200:02〜0200:16 
第25章 末法法華経行者の所由

講義


「此に日蓮案じて云く」より下は、日蓮大聖人が、まさしく法華経に予言された末法ただ一人の法華経の行者であり、上行菩薩の再誕であらせられる旨を述べて、末法下種の三徳の深恩をあらわされた段である。とくにこの第十五章は法華経の行者たる所由を述べられている。

「辺土に生をうけ其の上・下賎」の文

 辺土とは、インド・中国に対して日本をさすという論と、日本の中において辺土たる房州をさすとの二論があるけれども、日寛上人は後義にしたがうべしとおおせられている。房州のごとき辺土においても、また尊貴な人もいるが、「その上・下賤」として種姓を明らかにせられた。末法の御本仏がなぜ下賤の生まれであるかといえば、末法下種の法華経の行者は三類の強敵が競い起こることによって、まさしく経文の予言に合致するのであり、また邪智謗法の極悪人が充満する末法においては、下種逆縁の功徳によってのみ一切衆生が救われるのである。もし大聖人が尊貴の生まれであるならば、三類の強敵も競い起こりがたく、したがって、法華経の行者としてのご身分をもあらわしがたいゆえである。さらにまた、悲門は下賤の一切大衆の救済を妙となす。ゆえに大聖人は凡夫のお姿で下賤の大衆の中に御生誕あそばされたのである。


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