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2020.8.5-6

2020年08月04日 (火) 00:23
2020.8.5-6

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◎セント・ジョンズ(英:St. John's)はカナダ・ニューファンドランド・ラブラドール州の州都。人口9万9,512人。広域圏の人口は17万2,918人(2001年統計)。ニューファンドランド島の東南に突き出たアバロン半島の東端に位置する港町である。世界一霧の深い街としてギネス世界記録に認定されている。 ニューブランズウィック州のセント・ジョンと混同されがちだが別の街である。

1583年、北米植民地開拓のためのエリザベス1世の勅許状を持つ探検家サー・ハンフリー・ギルバート(英語版)が到達し、この付近は勅許に基づくイングランド最初の植民地として宣言された(ただし、この宣言は1713年のユトレヒト条約まで他国には承認されなかった)。しかし、ギルバートはイギリスへ帰還する航海が長引き、すぐにこの地に定住が始まることはなかった。その当時、港の沖には16ものイングランド船と20ものフランス船とポルトガル船が入港していたが、定住者はいなかった。1610年には、ジェームズ1世の勅許状を持つジョン・ガイ(英語版)率いる定住のための入植者がイングランドからセントジョン近郊のキューピッズ(英語版)に到来した。1620年までには、このエリアでイギリス漁船が他国の漁船を圧倒するようになった。しかし、実際にセントジョンズへの定住がなされたのは1630年代になってからのことである。

◎ポーランド分割(ポーランドぶんかつ、ポーランド語: Rozbiór Polski・Rozbiory Polski、リトアニア語: Lietuvos-Lenkijos padalijimai、ベラルーシ語: Падзелы Рэчы Паспалітай、ウクライナ語: Поділи Речі Посполитої)は、18世紀に、ポーランド・リトアニア共和国の領土が3度にわたって周囲の3つの大国に奪われ、最終的に完全に領土を失って滅亡したことを指す歴史用語。その後、ウィーン会議により改めて4度目の分割も行われた。

第一次ポーランド分割(ポーランド語: I rozbiór Polski)は、1772年に行われたポーランド・リトアニア共和国の最初の分割。すでにロシア帝国の属国と化していたポーランドは、中・東欧の勢力均衡を図ったロシア帝国、プロイセン王国、ハプスブルク帝国(オーストリア)によりその領土を蚕食された。ポーランド軍はこうした隣国に抵抗できるだけの軍事力を持っておらず、また三国軍が迅速にポーランド領を制圧したために、ポーランドは1773年に分割セイムを開き、分割を承認せざるを得なくなった。

◎1960年にシャープビル虐殺事件が起きると、マンデラも武装闘争路線へと転換し、1961年11月、ウムコントゥ・ウェ・シズウェ(英語版)(民族の槍)という軍事組織を作り最初の司令官になった。しかし、それらの活動などで1962年8月に逮捕される。また、1963年7月にはウォルター・シスルやゴバン・ムベキといったANC指導部がヨハネスブルク近郊のリヴォニアにおいて逮捕され、すでに獄中にあったマンデラもこの件で再逮捕された。

27年間の投獄

1990年2月2日にデクラークはANCほか禁止されていた政治団体の活動許可とともにマンデラ釈放を約束し、1990年2月11日にはマンデラは釈放される。

◎部分的核実験禁止条約(ぶぶんてきかくじっけんきんしじょうやく、英: Partial Test Ban Treaty、略称:PTBT)は、1963年8月5日にアメリカ、イギリス、ソ連との間で調印された、核兵器の一部の実験を禁止する条約である。正式名を大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(Treaty Banning Nuclear Weapon Test in the Atmosphere, in outer Space and under Water)という。地下を除く大気圏内、宇宙空間および水中における核爆発を伴う実験の禁止を内容とする。

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0186〜0237 開目抄 0200:02〜0200:16 
第25章 末法法華経行者の所由

本文
法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。

現代語訳
法華経を修行していくうちに数々の災難を受けた。人々の悪口とか、病気とか貧乏のような世間の問題は、これを耐え忍ことができた。また父母や国王が法華経に反対し、持経者を迫害した時も退転することなく、また外道の難や小乗経の上から難じられても、これを耐え忍んできたのであるが、しかし権大乗も実大乗も、仏法のことはすべてきわめつくしたような姿をしている、道綽・善導・法然等のごとき悪魔の身に入って邪教を説く者が、一方では法華経が大変りっぱな経であるとほめ上げ、一方では今の人の機根は下劣であるから、法華のような深遠の経では成仏できないと立て、「法華経は理が深くて、かすかにしかわかることができない」「まだ法華によって一人も得道した者はない。千人も法華を修行して、ただの一人も得道する者はない」等々と言って法華の修業を妨害する者に、無量生の間、数え切れないほど幾度となくすかされて、ついには法華を退転して念仏のような権経へ堕ちた。さらに権経より小乗経へ堕ち、さらに外道や外典に堕ち、結局は地獄・餓鬼等の悪道へおちいってしまったのだということを、日蓮は深くこれを悟ったのである。


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