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2020.8.4-6

2020年08月03日 (月) 00:13
2020.8.4-6

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◎八王子城の戦い
八王子城攻めには、上杉景勝・前田利家らの部隊約1万5,000人が動員された。当時八王子城は城主・氏照が不在で、場内には城代の横地吉信、家臣の狩野一庵、中山家範、近藤綱秀、設楽能久および近隣の農民・婦女子ら約3,000人が立てこもっていたとされる。


◎神職、猿渡氏

大國魂神社の大宮司家は猿渡(さわたり)氏である。藤原姓 を称し、藤原藤左衛門兼延が武蔵国橘樹郡猿渡村に住して猿渡を名乗ったことに始まる。その子信元は鎌倉幕府に仕え、のち薩摩に移住して島津氏の客人となった。その嫡子信景はそのまま、島津氏に仕え、二男実景は武蔵国政所別当となり、武蔵国総社の神主を兼帯した。

以後、代々武蔵国総社大宮司を務めた。建武二年(1335)、猿渡兼資のとき、足利尊氏の命に従わなかったことから、神領を没収され流浪するということもあったが、その子兼重は武蔵国総社神主職を務めている。

猿渡氏は、大宮司職を務めながら兵馬の道にも携わっていたようで、戦国時代には小田原北条氏に属していた。そして、豊臣秀吉の小田原征伐が解しされた 天正十八年(1590)、ときの大宮司盛正は八王子城において戦死した。ことから血筋が絶え、その妹が江戸城主遠山景政の妻であったことから二人の間に生まれた盛道が猿渡氏を継ぎ、子孫連綿して現代に至っている。

◎博多港(はかたこう)は、福岡県福岡市にある港湾。港湾管理者は福岡市。港湾法上の国際拠点港湾、港則法上の特定港に指定されている。 博多湾に面している。1899年8月4日に開港した。古くは、那の津・那大津・博多津と呼ばれていた。三津七湊。


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0186〜0237 開目抄 0200:02〜0200:16 
第25章 末法法華経行者の所由

現代語訳
 このように、仏教がすべて誤っている末法の時代に入って、すでに二百余年を過ぎた。この時に、日蓮は東海の辺国に生まれ、その上、社会的な身分は下賤で、しかもきわめて貧乏な身の上である。六道輪廻の間にある時は人界・天界の大王と生まれて、万民をなびかすことは大風の小木の枝を吹きゆるがすようにした時にも成仏せず、大乗経や小乗経の修行に努めて外凡・内凡の大菩薩の位にまで修し上がり、一劫・二劫・無量劫等の長い期間にわたって菩薩の行を立て、すでに不退転の位に入るべきはずであった時も、強盛の悪縁にふれ、その悪縁に動かされ悪道に逆戻りして成仏できなかった。その過去の因縁をたずねるならば、三千塵点劫のその昔に出世した大通智勝仏の法華経を説かれた時代に生まれながら、まったくこれを信じなかった第三類の者が、さらに釈尊在世の法華経にも会うことなくて、迷いのまま末法に生まれてきたのであろうか。あるいは久遠五百塵点劫の昔に法華経の下種を受けながら、退転して悪道に堕ち、今日ここへ生まれてきているのであろうか。


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