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2020.8.1-5

2020年07月31日 (金) 10:31
2020.8.1-5

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「自然を、人間に征服されるべきものとし、いくら破壊され、犠牲にされてもかまわぬとする“ヒューマニズム”は、実は、人間のエゴイズムであって、かえって人間の生存を危うくする“アンチ・ヒューマニズム”にほかならない。真のヒューマニズムは、人間と自然との調和、もっと端的に言えば、人間と、それを取り巻く環境としての自然とは、一体なのだという視点に立った“ヒューマニズム”であるべきである」

 <72年(同47年)7月、「滝山祭」のため創価大学の滝山寮を訪れた伸一は、人生の哲学を語る>

私は、『それは社会に出た時に、どうやって人と対応していくのかという人間学を学ぶ、大事な訓練なんです』と言ったんだ。彼は、納得していたよ。君たちも、同じ思いでいるんだろうね」

「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。
 
 その時に、自分の希望と違う職場だから仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。敗北です。
 
 就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩がいて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。
 
 しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」
 
 (「創価大学」の章、258〜261ページ)

●一対のブロンズ像
 1971年(昭和46年)4月2日、開学した創価大学に伸一は一対のブロンズ像を寄贈。そこには創価大学生の永遠の指針となる言葉が刻まれている。
 
 ◇ 
 
 学生らが見守るなか、二つの像を覆っていた白い布が、順番に取り払われていった。見事なブロンズ像が姿を現した。
 
 像の高さは、それぞれ、台座を除いて四メートルほどで、作者はフランスの彫刻家アレクサンドル・ファルギエールである。

●創価大学にあるブロンズ像「天使と鍛冶屋」
 向かって右側は、髭をたくわえた鍛冶職人と、腕を高くかざした天使の像であった。鍛冶職人の目は鋭く、信念の炎を燃え上がらせているようでもある。この像の台座には、「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」との、伸一の言葉が刻まれていた。
 
 現代の社会には、楽をすることが得であるかのような風潮があるが、それは不幸だというのが伸一の結論であり、信念であった。
 
 苦労を避け、面白おかしく生きることは、一時的には、よいように思えるかもしれない。
 
 しかし、結局は自身を軟弱にし、敗北させるだけである。
 
 労苦なくしては歓喜もない。また、人間形成もありえない。苦労に苦労を重ね、自らの使命を果たしゆくなかでこそ、自分自身が磨かれ、真実の人生の価値が生まれることを、伸一は、最愛の創大生たちに知ってもらいたかったのだ。

●創価大学にあるブロンズ像「天使と印刷工」
 そして、左側は、片膝をつき、未来を見すえるように彼方に目をやる若き印刷工と、翼を広げ、ラッパを吹き鳴らす天使の像である。台座には、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」と、刻まれていた。学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。
 
 人びとの幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためであるといってもよい。
 
 ましてや、創価大学は多くの民衆の真心によって実現した大学である。
 
 それだけに、創大生には、その学問の目的を、断じて忘れないでほしかったのである。
 
 いずれの言葉も、伸一が創価大学の出発にあたって、考え抜いた末の指針であった。
 (「創価大学」の章、121〜122ページ)


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