Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2020.7.31-5(3)

2020年07月30日 (木) 19:18
2020.7.31-

「人生地理学」からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために

東京学芸大学 名誉教授 斎藤毅
第4回 地理学の考え方と人生(人間の生活)


●暗記科目に苦労しつつ
 学問としての地理学はともかく、例えば「所変われば品変わる」や「郷に入れば郷に従え」など、地理的な考え方は意外に日常的に見られるものです。しかし、牧口常三郎師も『人生地理学』の中で嘆かれているように、学校教育では「歴史」とともに「地理」は「暗記科目」と呼ばれ、とかく試験前夜の暗記力を競う学科と見られがちです。
 「歴史」では、例えば年代を覚えるために「いいくにつくろう鎌倉幕府」として鎌倉幕府の成立年「1192年」を引き出していました。〈現在は、この年は源頼朝が征夷大将軍になった年で、鎌倉幕府の成立年ではないというのが通説〉
 一方、「地理」とは、地名や特産品を覚えることと考えられ、例えば「北海道の産物は、ニシン、サケ、マス、タラ、カニ、コンブ」などと、歌のように節を付けながら覚えられた年配の読者もいらっしゃるのではないでしょうか。

●鉄道唱歌は地理教育!?
 その極め付きは、あの懐かしい「汽笛一声新橋を……」で始まる、大和田建樹作詞の鉄道唱歌かもしれません。
 この歌は明治33年(1900年)に出版されたもので、正式には『地理教育鉄道唱歌第1集』になります。
 作詞者の大和田は愛媛県生まれの国文学者で、東京高等師範学校(現在の筑波大学)、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の教授。新橋から始まって神戸まで、各駅停車どころか、途中、横須賀線などの支線も含め、歌詞は66番まで。余興で全曲歌えた人もいたようですが、聞く方も大変だったでしょう。
 これは「東海道編」で、他に「山陽・九州編」「奥州・磐城編」「北陸編」など、各地の幹線編もあったようです。どこまで歌えるかはともかく、ここまでくると、もはや単なる暗記の手段とはいえません。

●人生の3つの疑問から
 人間は、どうしても物事やその因果関係を考えてしまいがちなもの。それなりの説明がつくと一応、安心します。その体系の一つが神話です。
 “考える人間”には当然、多くの疑問があります。こうした疑問を集約すれば、「自分は何か」「どこにいるのか」「どこへ行くのか」になるはずです。画家ゴーギャンの遺作では、最初の問いが「我々はどこから来たのか」になりますが、同じような疑問です。多くの神話も学問も、方法こそ違っても、これらの疑問から出発しています。
 まず、「自分は何か」からは、その後、哲学とともに歴史学や生物学、心理学などが生まれました。自分のルーツを探し、現在の立場を納得するためです。「どこにいるのか」は、天文学とともに何より地理学形成の動機といえるものです。もちろん、これらの学問から多様な学問が派生していきます。
 しかし、「どこへ行くのか」は、もちろん死後の世界の話で、実証科学の方法では封印されたまま。ただ神話や宗教は観念で結論が出せるので、この疑問に対しても早くからそれぞれ満足のいく答えを、信じる人々に出しています。

画家ゴーギャン(右)と晩年の傑作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(仏領ポリネシアの切手、筆者提供)

●「世界の姿」を求めて
 先ほど述べたように、地理学は英語で「Geography」。これを見て、「おや?」と思われる方も。確かに、学問には「Physics」(物理)や「Mathematics」(数学)のようなものもありますが、「Biology」(生物学)や「Psychology」(心理学)のように「logy」が付くのが一般的。「graphy」が付くのは、差し当たり、「oceanography」(海洋学)でしょうか。
 一方、「Geo」に「logy」を付けて「Geology」とすると、「地質学」となります。
 前述のように、「Geo」は「大地」「地球」の意味で、「graphy」は「記述したもの」。従って「Geography」を直訳すれば、「地球を記述したもの」であり、「世界の姿」ともなるでしょう。地理学の歴史は、いわば、世界の姿――世界像を索める歴史といえます。ヨーロッパ人による大航海時代は、そのための大運動ともなりましょう。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: