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2020.7.24-6

2020年07月23日 (木) 00:45
2020.7.24-



◎壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年6月24日 - 7月23日、(ユリウス暦672年7月24日 - 8月21日[1])に起こった古代日本最大の内乱である。

◎末日聖徒イエス・キリスト教会(まつじつせいと イエス・キリストきょうかい、英: The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints, 略称: LDS)は、1830年にアメリカ合衆国で宗教家ジョセフ・スミス・ジュニアによって創始されたキリスト教系の新宗教。通称のモルモン教は教典の一つである『モルモン書』に由来する。ただし教会の指導部は「モルモン教」という呼称について、信徒に対し「使用を推奨していない」。本部はアメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティにある。

◎マチュ・ピチュ(スペイン語:Machu Picchu、ケチュア語:Machu Pikchu)は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にある。

当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400mに位置する。標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約1,000メートル高い場所にその首都があった。現在のクスコはペルー有数の都市でその市街地は世界遺産(文化遺産)である(1983年に登録された)。

なお、インカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡したが、アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担などの理由はまだ明確には分かっていない。

ハイラム・ビンガム3世(Hiram Bingham III、1875年11月19日 - 1956年6月6日)は、アメリカの探検家、政治家。1911年ペルーのマチュ・ピチュ遺跡の発見者。インディアナ・ジョーンズのモデルとされ、冒険家や政治家、軍人など様々な経歴をもつ。

◎ローザンヌ条約(ローザンヌじょうやく、フランス語: Traité de Lausanne)は1923年7月24日、スイスのローザンヌにあるパレ・ド・リュミーヌ(英語版)[2][3]で締結された講和条約。条約により、第一次世界大戦開戦以来、元オスマン帝国と連合国(フランス、イギリス、イタリア、日本、ギリシャ、ルーマニア)の戦争状態を終結させた[1]。西欧諸国が条約で定められたトルコ国境に基づきトルコ共和国を主権国家として認める代償として、トルコはそれ以外の元オスマン帝国領を放棄した。条約の原文はフランス語で書かれた。

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0186〜0237 開目抄 0199:03〜0199:11 第23章 華厳・真言の謬解を挙ぐ

現代語訳

したがって、華厳経には「釈尊が仏道を成就しおわって不可思議劫の永い間を経るを見た」とある。また大日経には「われいっさいの本初なり」と説いている。どうして釈迦久遠の成道を説く経文が寿量品に限ろうか。たとえば井戸の底にいる蛙が大海を見ないがごとく、山奥に住む人が都を知らざるごとく、汝はただ寿量の一品を見るのみで、華厳や大日経等を知らないのではないか。その上インド・中国・朝鮮等の諸国においても、みな一同に二乗作仏と久遠実成は法華経に限るといっているか。このような意見から推して考えるならば、八箇年に説いた法華経は四十余年の経々に異なっているが、八箇年の教判と四十余年後の教判の中では、とうぜん後の八箇年の教判に依るべきである、すなわち法華経に説かれた勝劣の決定を用いるべきであるとはいいながらも、なお爾前経の論拠が強く、法華は薄弱のように考えられる。


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