【FINANCIAL TIMES】トルコ大統領、危うい決断
インターナショナル・アフェアーズ・エディター
デビッド・ガードナー
アヤソフィアが537年、ビザンチン帝国のユスティニアヌス1世によって建てられた時、イスラム教はまだ誕生していなかった。モスクに変わったのはオスマン帝国が1453年にコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を征服してからだ。そして1934年、政教分離を掲げたトルコ建国の父アタチュルクが博物館への変更を決めた。これにはオスマン帝国がアルメニア人など多くのキリスト教徒を虐殺した記憶を薄める思惑もあったようだ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれの聖地であるエルサレムは歴史上、最も争いの絶えない土地だ。しかし同時に尊重と寛容の精神も世界に示してきた。
正統カリフ時代の637年、イスラム勢力はビザンチン帝国を破りエルサレムを征服すると、当時の2代目カリフのウマルは、キリストの墓があったとされる聖墳墓教会からの礼拝の招きを断った。教会をモスクに変えようとしていると人々に思われたくなかったのだ。この話は心の琴線に触れるような神聖な伝統はないがしろにすべきでないことを教えてくれる。
これと対照的なのがインド北部アヨディヤのモスクだ。16世紀に建てられたが1992年、インド人民党(BJP)の支持母体でヒンズー至上主義を掲げる「民族義勇団(RSS)」の支持者らによって破壊された。BJPを現在率いるモディ首相は若い時からのRSSのメンバーだ。最高裁判所は2019年11月、このモスクがあった場所にヒンズー教寺院を建設することを認める判断を示した。
モディ政権はヒンズー至上主義者の支持を得続けるため、寺院建設をじらすように遅らせるだろうか。それとも国内の2億人のイスラム教徒を獅子身中の虫とみなし、威圧しようと建設を進めるか。
この2つの手法はエルドアン氏にとっても対極の選択肢になる。いずれにせよ、同氏はモディ氏のやり方に倣い、トルコの多数派のイスラム教スンニ派こそ犠牲を強いられてきたという構図を作り上げたいようだ。ウマル流の人道的な対応も、アヤソフィアを世俗化し、あらゆる宗教や無神論者にも開放したアタチュルク流の解決策もお呼びではない。