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2020.7.18-5(3)

2020年07月18日 (土) 00:37
2020.7.18-

1957年生まれという使命感〈信仰体験〉
  
 常勝不敗の原点というべき1957年(昭和32年)7月17日の「大阪大会」。池田先生の師子吼に、関西の友は炎の団結をもって応えた。「いよいよ・はりあげてせむべし」(御書1090ページ)のままに父と母は攻めの姿勢を貫いた。
 その“負けたらあかん”の関西魂は、いかにして子に継がれたのか。大阪大会の年に生まれた人を取材した。
  
【大阪市北区】聞き逃してはならない声を命に刻んだのは、胎児の時だった。2017年(平成29年)7月、中之島の大阪市中央公会堂で関西勝利大会が開かれた。登壇した治田聖子さん(62)=総区副総合婦人部長=の声が、マイクを通して場内に響いた。
 「大阪大会に、私は母のおなかの中で参加しました」

【大阪市西成区】池田先生の母の名を冠した「一桜」という、しだれ桜が西成文化会館にある。咲いても散っても美しいこの名木は、同志の奮闘をじっと見つめてきた。
 川端銀三さん(62)=副総県長=が信心に立ち上がった陰には、電気工事の仕事着のまま通い詰めてくれた男子部の先輩がいる。
 会えない時は、いつもポストに短い手紙が入っていた。
 「仕事どうや」
 「体大丈夫か」
 よれた一枚の紙に、ぎこちない字を懸命に並べる先輩の姿が浮かんだ。

【大阪市淀川区】トタン屋根の家に暮らしていた。山西美江さん(62)=区総合婦人部長=は私学の高校へ進むつもりはなかったが、母が熱心だった。
 「この時に生まれ合わせたんは不思議やから、池田先生のもとに行ってほしい」
 創価女子学園(現・関西創価学園)を受験した。
 春、少し大きめのセーラー服を着た山西さんは玄関を背に、中腰でカメラを構える父の前ではにかんだ。足りない学費は長兄が出してくれた。
  




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