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2020.7.12-3(2)

2020年07月11日 (土) 19:17
2020.7.12-

◎日経・春秋

 伊藤左千夫は生涯に3度も、大きな水害を体験している。「野菊の墓」で知られるこの人は乳牛を飼いながら歌を詠み、小説を書いて暮らした。東京の下町で牧舎を営んでいた1910年8月、そんな左千夫が見舞われた災厄はとりわけ深刻だった。関東大水害である。

▼「闇ながら夜はふけにつつ水の上にたすけ呼ぶこゑ牛叫ぶこゑ」。牧舎の牛の叫び声が悲痛だ。被害は関東一円に及び、多くの犠牲者を出した。長く停滞していた前線に、2つの台風が重なったのである。東京では年末まで水が引かなかったという。これを教訓に造られた荒川放水路は難工事の末、昭和の初めに完成した。

▼人類の歴史は治水の歴史だ。こういう闘いを営々と続けてきたにもかかわらず、なおも水害は人々を苦しめてやまない。いやむしろ、近年の大雨は激化し、常態化し、防御をあざ笑っているように見える。九州などを襲い、来週にかけても警戒が解けぬこんどの豪雨もひどくたちが悪い。梅雨前線の凶悪化と言ってもいい。

▼左千夫を疲弊させた東京下町の洪水は、やがて荒川放水路のおかげで影をひそめた。いまは荒川本流となった全長24キロメートルの水路は、これまでに一度も決壊したことがない。しかし、最近の異常気象を思えばその実績も揺らぐのだ。万一の場合、水は都心にも達するという。先人たちが味わった苦難を、胸に刻むときである。


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