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2020.6.8-2

2020年06月08日 (月) 01:35
2020.6.8-2

【寸鉄】
青年ならば世界の運命を
考えて動け―戸田先生。
皆が新時代の山本伸一と
     ◇
高等部結成記念日。君ら
の成長こそ創価の希望!
正義の走者よ学びに学べ
     ◇
人に与えた喜びは輝きを
増して自分に戻る―文豪
励ましに自他共の幸福道
     ◇
換気の悪い所での会話が
感染拡大の引き金―研究
正しい知識で危険回避を
     ◇
自転車事故、原因の7割
が法令違反と。一時停止
や歩行者優先などを順守

◎名字の言 フランスの思想家ルソーが述べた「第2の誕生」
私たちは2回、この世に生まれる――そう洞察したのはフランスの思想家ルソーである。「一回目は存在するために、二回目は生きるために」と(今野一雄訳『エミール』岩波文庫)▼1度目は、母親の“産みの苦しみ”を伴って生命を授かる瞬間だ。ルソーが「第2の誕生」と呼ぶのは、子どもから大人へと成長する時期。自我に目覚め、自分らしく生きたいと苦悩する。その“苦しみ”は自身で引き受ける以外にない▼思春期に加え、コロナ禍という“二重の葛藤”と向き合う中で、京都伏見総県高等部の代表がある事に取り組んだ。未来部担当者の勧めを受けて行った、両親や祖父母へのインタビューである。質問内容は「自分が生まれた時のこと」から「なぜ信心を始めたの?」など多岐にわたる▼初めて聞いた話も多い。学会との縁をつくってくれた同志の励まし。信心根本に病や経済苦から蘇生した体験。ある父親は息子に語った。「池田先生との出会いを通して、お父さんは人間としての生き方を学んだんだ」。信仰とは、師弟とは……子どもたちが自らに“生きる意味”を問う端緒になったという▼小説『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章に「未来の使命を自覚した人は強い」と。使命に生きると決めた時、人は何度でも新生の輝きを放つ。(之)


◎ 最高存在の祭典
(さいこうそんざいのさいてん、La fête de l'Être suprême)
フランス革命期、マクシミリアン・ロベスピエールの独裁政権下のフランス共和国で、1794年5月7日の法令に基づいて6月8日にテュイルリー宮殿およびシャン・ド・マルス公園で行われた宗教祭典。

フランス革命が絶頂に達しロベスピエールの独裁が確立した時期で、恐怖政治がフランス全土を覆っていた。彼は人間の理性を絶対視し、キリスト教を迫害しカトリック教会制度を破壊した。同時に恐怖政治は美徳に基づくべきという理想を持っており、キリスト教に代わる道徳を求めていた。また、国内は不安定さを増し革命政府は祖国愛に訴えて革命の危機を乗り越える必要があった。

これらの事情からキリスト教に代わる理性崇拝のための祭典を開く必要に迫られていた。1793年11月10日、パリのノートルダム大聖堂の内陣中央に人工の山が設けられ、その頂上にギリシャ風の神殿が建てられ、その四隅にはヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、シャルル・ド・モンテスキューといった啓蒙思想家たちの胸像が設置されて神殿のなかから「自由と理性の女神」に扮したオペラ座の女優が現れるといった趣向で「理性の祭典」が始まった[1][2][3]。これはエベール派の主導でおこなわれ、きわめて無神論的性格の強いものであった[1]。

しかし、霊魂の不滅を信じる清廉潔白なロベスピエールからすれば、革命の祭典はこのような無神論的、無政府主義的なものであってはならないのであった[3]。ロベスピエールにとってそれは、カーニヴァルのような前近代的民俗の再生であってはならず、「新しい人間」すなわち共和主義的な公民を創生するための公教育の一環でなくてはならなかった[3]。

「単一にして不可分」であるはずのフランス共和国の基盤は道徳性を備えた民衆のなかにこそある[3]。その道徳性なるものは信仰心なくして生まれないと考えるロベスピエールは、「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」と語ったといわれている[3]。キリスト教の「神」に代わるもの、それが「最高存在」なのであった[3]。

こうして、1794年5月7日の法令に基づいて6月8日にテュイルリー宮殿やシャン・ド・マルス公園を中心に「最高存在の祭典」が挙行された[1][2][3]。その中心となったのはロベスピエール派であり、理神論的性格の濃いものであった[4][3]。この祭典の思想的背景としては、ルソーの「市民宗教」の主張があるとされる。

◎日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。

日本二十六聖人は近世においては、日本よりもヨーロッパにおいてよく知られていたが、それはルイス・フロイスなどの宣教師たちの報告書によるところが大きい。1862年6月8日、ローマ教皇ピウス9世によって列聖され、聖人の列に加えられた。

◎地球における金星の太陽面通過(きんせいのたいようめんつうか)は、金星が太陽面を黒い円形のシルエットとして通過していくように見える天文現象である。金星が地球と太陽のちょうど間に入ることで起こる。日面通過や日面経過、太陽面経過とも呼ばれる[1]。記録に残る初の観測は、1639年にエレミア・ホロックスによってなされた。

金星の太陽面通過は非常に稀な現象で、近年では、8年、105.5年、8年、121.5年の間隔で発生する。直近では協定世界時2012年6月5日から6日にかけて起こった。次回は2117年12月10日から11日にかけて起こる[1]。

◎イワン・ニコラーイェヴィチ・クラムスコイ(Ива?н Никола?евич Крамско?й, 1837年5月27日(グレゴリオ暦6月8日) - 1887年3月24日(グレゴリオ暦4月5日))は、ロシアの画家・美術評論家。1860年から約20年にわたって「移動派」の知的・精神的な指導者であり続けた。

◎ムハンマド(アラビア語: ?????[1]、Mu?ammad[2]、570年頃 - 632年6月8日)は、イスラム教の開祖、軍事指導者、政治家。アラビア半島中西部、ヒジャーズ地方の中心都市メッカの支配部族であるクライシュ族出身で、その名門ハーシム家のひとり。イスラム教では、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)その他に続く、最後にして最高の預言者(ナビー)でありかつ使徒(ラスール)とみなされている[3]。また世俗君主・軍人としても有能であり[要出典]、アラビア半島にイスラム国家を打ち立てた。


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