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2020.5.22-2

2020年05月22日 (金) 00:26
2020.5.22-

◎独立とアムステルダムの繁栄
しかし八〇年戦争(一五六八~一六四八年)で状況は一変する。

ネーデルランドからの潤沢な税収が途絶えたことがスペインにとっては大きな損失だった。

フェリペ二世の考えでは、人民は王と同じ宗教を信じなければならない。「この点で譲歩するぐらいなら、領土を全部失うほうがましだ」

地中海ではオスマントルコと対決している間にイタリアでは暴動が起きるという具合に、帝国運営のあちこちでほころびが出る状況では、オランダ人がおとなしく言うことを聞いているはずもなかった。人口一〇〇万にも満たないこの小さなプロテスタント連合は、土地の二〇%が海水面より低く、さらに四〇%がつねに洪水や氾濫の危険にさらされている。そんな彼らが、武力対決に勝利して巨大なスペイン帝国を打ち負かせたのだった。

これと平行して、アムステルダムは会計の中心地にもなる。ある詩人は、オランダの富の秘密は複式簿記にあるという詩を作ったほどである。

ある有名な賢い発明は、
ヴェネツィア、ジェノヴァ、フィレンツェを富ませた
富も土地も低かった低地諸国も
いまやこの発明によって強いオランダに生まれ変わる

●八十年戦争(はちじゅうねんせんそう、蘭: Tachtigjarige Oorlog)は、1568年から1648年にかけて(1609年から1621年までの12年間の休戦を挟む)ネーデルラント諸州がスペインに対して反乱を起こした戦争。これをきっかけに後のオランダが誕生したため、オランダ独立戦争と呼ばれることもある。この反乱の結果として、ネーデルラント17州の北部7州はネーデルラント連邦共和国として独立することになった。北部7州は、1581年にスペイン国王フェリペ2世の統治権を否認し、1648年のヴェストファーレン条約によって独立を承認された。

●ヴェストファーレン条約(ヴェストファーレンじょうやく、羅: Pax Westphalica、独: Westfälischer Friede、英: Peace of Westphalia)は、1648年に締結された三十年戦争の講和条約で、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約の総称である。ラテン語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。

この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った[1][2]。この秩序を「ヴェストファーレン体制」ともいう。
(帳簿の世界史)


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