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2020.4.12-2

2020年04月12日 (日) 00:27
2020.4.12-

【寸鉄】
御書「先ず四表の静謐を
禱らん者か」。日々、立
正安国の祈り強く前進!
     ◇
危機の時を生きる人は黄
金時代に転じる先駆者―
歴史家。未来開く使命大
     ◇
肺炎終息の鍵は全員の理
解と行動変容に―博士。
今はとにかく外出自粛を
     ◇
約2メートルの社会的な距離を
意識。接触機会の8割減
へ“できること”全て実践
     ◇
外での散歩、ジョギング
は問題なし。密閉、密集、
密接を避け賢く健康維持

【名字の言】
熱して溶かした砂糖で自在に形を作り、繊細な芸術作品を生み出す飴細工。この伝統の技と美に引き付けられる人も多いだろう。“和の瞬間芸術”ともいわれる▼本来、口にすることを目的としない飴細工だが、明治の文豪・夏目漱石は、文章を飴細工に例えて書いている。「文章は飴細工の如きものなり、延ばせばいくらでも延る、その代りに正味は減るものと知るべし」(「愚見数則」)▼文章の力とは何だろう? このコラムをパソコンで入力しながら考えた。一つ一つの文字は、コンピューター上では単なる記号にすぎない。それがひとたび、組み合わされて文章になると、生命を得たように大きな力を持つことがある▼新聞の記事はもちろん、見出し一つにしても、先輩から「読者の心の奥に響くものを」と厳しく教えられた。例えば、「生命の尊厳」を「生命の尊貴」とする。「厳」と「貴」の一文字違いだが、新鮮味が出てくる。「何度も使った言葉を使用するのに、抵抗を感じないようではいけない」「言葉は無尽蔵にあるんだから、斬新なものをしぼり出せ」と▼あす12日まで「春の新聞週間」。20日には本紙の創刊記念日を迎える。先の見通せない状況だからこそ、勇気と希望と元気をもたらす「正味」ある文章を発信し続ける。(川)

◎「地球は青かった」
ガガーリンの言葉として知られる「地球は青かった」は、1961年4月13日付けのイズベスチヤに掲載されたルポ(着陸地点にいたオストロウーモフ(Георгий ОСТРОУМОВ)記者によるもの)によれば、原文では "Небо очень и очень темное , а Земля голубоватая . " となっており[11]、日本語では、「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」となる。朝日新聞4月13日夕刊、毎日新聞4月13日夕刊、読売新聞4月13日朝刊は、この記事を基にしてガガーリンの言葉を伝えている。

◎島原の乱(しまばらのらん)は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。島原・天草の乱、島原・天草一揆[1]とも呼ばれる。寛永14年10月25日(1637年12月11日)勃発、寛永15年2月28日(1638年4月12日)終結とされている。従来、信仰的側面は表面上のもので、あくまで厳しい収奪に反発した一揆であるというのが定説であったが、事態の推移から、単なる一揆とする見方では説明がつかず、宗教的な反乱という側面を再評価する説が出ている[1]。鎮圧の1年半後にはポルトガル人が日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。

◎発見の状態について
江戸時代天明年間(天明4年2月23日(1784年4月12日)とする説がある)、水田の耕作中に甚兵衛という地元の百姓が偶然発見したとされる。発見者は秀治・喜平という百姓で、甚兵衛はそのことを那珂郡奉行に提出した人物という説もある。一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていた。発見された金印は、郡奉行を介して福岡藩へと渡り、儒学者亀井南冥は『後漢書』に記述のある金印とはこれのことであると同定し『金印弁』という鑑定書を著している。

◎1877年、東京医学校と統合されて(旧)東京大学が発足し、同大学の法文理三学部の母体となった。このため現在の東京大学の直接の前身機関の一つと見なされている。

◎当時(中世イタリア)の権力者たちの権力争いの渦[注 3]に巻き込まれる中で、次第に敵を増やす形になってしまい[8]、ついには彼のことを快く思わない者によって、彼の支持した地動説を口実に異端審問で追及されるように追い込まれたり、職を失ったり、軟禁状態での生活を送ったりすることになった[8]。職を失い経済的に苦境に立たされ、齢も重ねたガリレオは病気がちになった。これを知ったルネ・デカルトは、自身も『宇宙論(世界論)』の公刊を断念してしまった。追い打ちをかけるように、ガリレオを看病してくれていた最愛の長女ヴィルジニア(マリア・チェレステ)を1634年に病気で失ってしまう。さらに1637 - 1638年ごろには失明した。

◎1924年(大正13年)4月12日 - 福岡駅として開業。
1935年(昭和10年)頃 - 九鉄福岡駅に改称。
1942年(昭和17年)9月22日 - 西鉄福岡駅に改称。
1961年(昭和36年)11月1日 - 高架化。

◎ハービー・ハンコック
(Herbie Hancock、本名:Herbert Jeffrey Hancock、1940年4月12日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家、プロデューサー。


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開目抄 

第七章 文底の真実を判ず 0189.01〜0189.07

御本尊の偉大な功徳

 この三大秘法の本尊には、法力・仏力あって、われら凡愚には解し得ぬ偉大な効能があらせられる。医者がとうてい癒し得ない業病もなおったり、また一生貧乏であらねばならぬ宿命の人が、その宿命を打破して、金持ちになったりするというような現象がある。かく論ずれば、これは迷信であるというような考え方をするものが現代人に多かろう。これは、仏教の哲理を知らぬ者の言葉であって、今これについて一言述べておく。
 世に、宗教と科学とはいかなる関係にあるかということをはっきりしていない者が多い。まず、科学の世界をながめるならば、いずれも宇宙の現象を対象とはしているが、文化的に大略これを見るならば、物質方面の研究すなわち物理・化学・数学・医学等があり、心の方面としては、倫理学・哲学等であり、社会的の方面としては、経済学・法学・社会学等である。しかして、この分化間においてなんら相克をもたない。たとえば、数学と法律とは、なにも争うことはないのである。また同一分化内において、たがいに相反することなく、たがいに助け合う立ち場にあるではないか。たとえば、法学と経済学とは相反するものではなく、ただその分野が違うだけであって、たがいに尊重し、その定理を用いているのである。
 かくのごとく、科学と仏教とは対立するものではない。いかんとなれば、真実の仏教は、同じく宇宙を対象として研究の歩をすすめたものであって、その究極は生命を対象としたものである。ゆえに仏教は、生きているという事実、肉体と心とが差別観の上に立つという事実を公理として、最高の定理まで展開されている。しかして、この仏教の研究およびその発展は、日蓮大聖人によって最高の極限にまで達したのである。このことは、知ると知らざるとに関せず、絶対の事実であって、生活の上に、この窮極の定理を用いたものには、疑う余地のないところである。


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