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2020.3.31-2

2020年03月31日 (火) 00:31
2020.3.31-

◎3月30日、連合軍は首都パリへの攻撃を開始。パリ防衛の任にあたっていたマルモンは降伏し、翌31日、連合軍はパリに入城した。タレーラン=ペリゴールを中心とするフランス臨時政府は停戦のためにナポレオンの退位を決議した。4月11日、ナポレオンはついに退位、降伏条件としてフォンテーヌブロー条約が締結された。続けて1814年5月30日にイギリスを含む列強とフランスの間でパリ条約が締結された。連合国の指導者はウィーン会議(1814年9月から1815年6月)が開催される前の6月にイギリスの平和祝典に参加した。ウィーン会議ではヨーロッパの国境が引き直された。

◎日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)は、嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が締結した条約である。神奈川条約とも呼ぶ。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権は東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーである。この条約によって日本は下田と箱館(現在の函館)を開港し、鎖国体制は終焉を迎えた。

◎よど号ハイジャック事件(よどごうハイジャックじけん)は、1970年(昭和45年)3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空便ハイジャック事件。日本における最初のハイジャック事件である。

1970年(昭和45年)3月31日、羽田空港発板付空港(現・福岡空港)行きの日本航空351便(ボーイング727-89型機、愛称「よど号」)が赤軍派を名乗る9人(以下、犯人グループ)によってハイジャックされた。犯人グループは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ亡命する意思を示し、同国に向かうよう要求した。よど号は福岡空港と韓国の金浦国際空港での2回の着陸を経たあと、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着。犯人グループはそのまま亡命した。

◎「腹案」という言葉には、なにかしら「心の中に秘めている上策」とのニュアンスがある。「私には腹案がある」と言ったら、通常はその人が難題を一挙に解決できそうな「秘策」を持っていると受け取られる。まして、一国の首相の言葉である。首相がそう言ったら、普通の国民では到底思いもつかないような「名案」を持っているに違いないと期待されるだろう。

だが、鳩山首相の「玉手箱」には何も入っていなかった。まさに「開けてびっくり玉手箱!」で、中身は自公政権の辺野古移設というカビの生えた古饅頭に「徳之島案=県外」というキナ粉を少々まぶしただけのことだった。鳩山首相の腹案を聞いた沖縄の人びとは、どれほど落胆したことだろう。那覇市長などは、その瞬間、全身が崩れ落ちるような脱力感に襲われたと語っている。


【一年前】
◎まんぷく
「落ち着いたら1ヶ月か2ヶ月か、二人で旅行に行かないか」
「え、………行きましょう行きましょう??」

私「うちはまだそんな心境にはなれんな」

妻「ま〜だま〜だ先のことですなぁ」

◎べっぴんさん
「空が近くに感じる」

私「これもまだその心境にはないな」

妻「なったらおおごと??」




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開目抄 
第五章 内外相対して判ず 01880.06〜0188.13

三惑未断の凡夫云云

 「外典・外道の四聖・三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし」との御金言を拝するとき、われわれは現代世界の政治・経済・思想・教育・芸術各界の指導者に思いをいたすものである。
 一国の首相とし大統領として、はたまた思想的に指導者、偉人として尊崇される人は多い。しかしながら、所詮はその各分野での狭い指導者に過ぎず、民衆を幸福にし、人類を救済することはできない。
 ある人は、学問の探究においては天才的であるが、その研究した成果が恐るべき大領虐殺と文明の破壊に悪用されることもあろう。また、ある政治家は自国の繁栄のために功績をあげ、尊敬されても、他国民にとっては大悪人とされることもあろう。また、ある人は偉大な芸術作品を創っても、貧困のなかに苦しみの一生を終える人もある。これすべて、自己の生命の因果を知らざること嬰児のごとく、また見思・塵沙・無明の三惑を断じえぬ凡夫にほかならないゆえんである。
 いかに頭脳明晰・学識豊かな人といえども、来世はおろか一寸先も闇である。また、過去・現在・未来にわたる己れの生命の実体をしることはできない。われわれは、東洋仏法の極理・事の一念三千の大御本尊の明鏡によって此三世の生命観を確立し、永遠にくずれぬ絶対幸福の建設に邁進できることは、感激、身に余るのみである。
 しこうして、この正しい生命観・幸福感を堅持した地涌の菩薩こそ、真実の世界の指導者として、使命を自覚すべきことを訴えるものである。これ本門の指導者である。末法の救世主・日蓮大聖人の末弟として、人類永遠の救済に、この身をささげきっていこうではないか。


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