【名字の言】
「皆さんの語りの中に『つながり』という言葉が何回も出てきました」
人間は一人では生きていけないから、つながりは大事。「ただ、その『つながり』に縛られているようにも感じたのです」
“このつながりしかない”という思い込みが、潜在的な不安となって人を息苦しくさせているのではないか、と。
「でも、心を開いている限り、新しい『つながり』は、どこにでも生まれるのです」
▼つながりは、自身の存在を実感できる人間関係である。だから心は軽くなり、生きる力になる。
医師で作家の鎌田實さんは月刊誌「潮」4月号で震災9年を振り返り、ハード面の復興が進んだ今日、「人間と人間の関係の復興」が極めて重要と訴える。さらに被災地支援の力として、「地域に根差したネットワーク」を持つ創価学会に期待する
▼家庭、地域、職場など、さまざまなつながりがある。一人一人が自分らしく輝く関係を築いていきたい。(側)
◎一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い。治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いの一つ。
源 義経(みなもと の よしつね、源義經)は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝は異母兄。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。
◎オランダ東インド会社(オランダひがしインドがいしゃ、正式には連合東インド会社、オランダ語 : Verenigde Oost-Indische Compagnie、略称VOC)は、1602年3月20日にオランダで設立され、世界初の株式会社といわれる。会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられた勅許会社であり、帝国主義の先駆け。アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。
◎地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年(平成7年)3月20日に東京都で発生した同時多発テロ事件である。警察庁による正式名称は、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(ちかてつえきこうないどくぶつしようたすうさつじんじけん)。日本国外では「英:Tokyo Attack」と呼ばれることがある。世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別テロ事件であった。
【一年前】
◎私の見た中国
(「中国の人間革命」池田大作)
広州の農民運動講習所………
「この部屋は毛沢東主席が休憩室と弁事室を兼ねて使ったものです」………
ーー質実剛健な、素朴な部屋のたたずまいに、想うことは大であった。この部屋で、毛沢東は革命を志考し、構想した。いわばこの部屋は、後の中国革命に多大な影響を与えた知的空間を提供したわけである。
毛沢東がこの講習所の所長として赴いたのは一九二六年春、そして開講は五月三日と、資料が示していた。三十二歳の時である。
………
七億五千万を超える人民運動の規模とは比較にはならないが、私も民衆に根差した運動を進める一人として、運動を担う共戦の友の育成こそ、その成否を左右することをよく知っているつもりである。奇しくも私が恩師、戸田前会長のあとをうけて会長になったのは、三十二歳の五月三日であったことを思うと、偶然とはいえ、感慨ひとしおであった。
【二年前】
◎山本勘助(風林火山)最終回
川中島の戦いの中で散っていった壮絶な死。
本当に凄い生きざまでした。
キャストも本当に素晴らしかった?
テーマソングも演奏はワルシャワ交響楽団。
響きのある素晴らしい演奏だった。
???
◎地区3の折伏?!
愚痴っぽい婦人部ですが、その愚痴をエネルギーに代えて折伏されるのが凄い?
?
◎『グレイテスト・ショーマン』
21:50-23:45
(原題: The Greatest Showman)
主演はヒュー・ジャックマン
マイケル・グレイシー(英語版)初監督作品。キャッチコピーは「夢が、踊りだす。」
「娘に手をだすな」
最近、腹抱えて笑った?
笑ったことのない劇笑家
どっちが詐欺師?
あなたと交われば悪い噂が
心の穴は大喝采でも埋められない
これからは光に目をくらませない
This is me.
?あなたと交われば悪い噂が
新聞社、妻の実家………どうしても超えられない無認識の壁?………我々の広宣流布の道にも通ずるドラマでした。
?これからは光に目をくらませない
目をくらませるような光は、私も経験済み?
仕事、お金、女性………
これからの仕事にも勇気をくれる映画でした。
【三年前】
「もう二度と会わない!」
という別れが私には多いですね。
「それはダメじゃん!」。
でも長い方はズーッと何があっても繋がっています。それが嬉しいですね♪
?
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開目抄 0186〜0237
第四章 外道の三徳 0187.08〜0188.05
現代語訳
つぎにインドの外道について述べる。外道においては、摩醯首羅天と毘紐天を二天といい、一切衆生の親であり、天尊でありあると号している。迦毘羅・ウ楼僧ギャ・勒娑婆を三仙という。これらは釈迦の時代を中心として、八百年已前・已後の仙人である。この三仙の説くところは、四韋陀と号して、讃誦・祭祀・歌詠・穣災の義を明かし、その所説は六万蔵もあるといわれた。釈尊が出世するに当たり、六師外道は、この外道の経を習い伝えて、五天竺の王の師となり、支流は九十五・六派にも分かれていた。一一の流派にまた我流が多く我慢の幢が高きことは非想天よりも高く我執の心が強いことは金石よりも堅かった。その見の深く巧みなる様は儒教の遠く及ばないところである。あるいは過去世の二生・三生乃至七生・八万劫のかこまでも照見することができ、また未来八万劫を知ることができた者さえあり、その所説の法門の極理が、あるいは「因の中に有り」、あるいは「因の中に果無し」、あるいは「因の中に亦は果有り亦は果無し」等云云ということである。これが外道の極理である。