◎「こだまでしょうか いいえ、誰でも」
『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう。
『ばか』っていうと『ばか』っていう。
『もう遊ばない』っていうと『遊ばない』っていう。
そうして、あとでさみしくなって、
『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう。
こだまでしょうか、いいえ、だれでも
金子 みすゞ
(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。
◎寸鉄
逆境でも勝てる事を証明
した会長の行動は手本―
総長。師に学び、師に続け
◇
学会の動画チャンネルが
好評。共有すれば信心の
触発はいつでもどこでも
◇
SNSで連携し同盟唱題
等、各地で工夫光る取り
組み。智慧出し、団結固く
◎名字の言
将棋界では「C級に落ちたら、B級には戻れない」
「強くなりたい。あきらめない。その気持ちに年齢は関係ありません」
「成長や学びは若い人だけの特権ではない」
“自分の現状をどう捉えるか”を重視する。すなわち、どんな苦境も「自分が不幸と思わなければ『負け』ではない」。
「些細なことを楽しいと感じる気持ちがあれば、その人は『勝ち』を手に入れています。ならば、極論すれば『人生には勝ちしかない』」
(『悔しがる力』PHP研究所)
受験シーズンも最終盤。不本意な結果から進路に迷う人がいるかもしれない。だが重ねた努力は消えないし、培った心の強さは人生の宝と輝く。“自分自身”を諦めない限り、道は必ず開ける
池田先生は未来部の友に呼び掛けた。
「だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる」。
この信念で“勝利の春”を進む友に真心のエールを送りたい。(誼)
◎伊藤 みどり(いとう みどり、1969年8月13日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。愛知県名古屋市出身。東海女子高等学校(現、東海学園高等学校)、東海学園女子短期大学卒業[1]。
【一年前】
◎朝
ストーブの前で妻はまた白い肩を出して着替えている………
「写真撮ろうか」
「盗撮で捕まる」
??
娘「お父さん、孫は欲しか?」
私「そら欲しかくさい」
娘「………待っててね」
私「………………至らんこつ言わんがよかね」
妻「そう、至らんこつ言わんがよか」
私「うん待っとく」
?
【二年前】
◎今日、地区で青年部が入会?
親は両方ともやっていないが、じいちゃんのすすめで?プロサッカー選手を目指しているとのこと?素晴らしい??
【三年前】
座談会終了後、夕飯を食べていたら、奥さん目の前に座って、
「なんか変わってない?」?
「あッ、そういえば……?」
「パーマして髪切ってきたとよ…いつもこれだもん」?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄 0186〜0237
第四章 外道の三徳 0187.08〜0188.05
本文
此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より返つて三悪道に堕つ一人として天に留るものなし而れども天を極むる者は永くかへらずと・をもえり、各各・自師の義をうけて堅く執するゆへに或は冬寒に一日に三度・恒河に浴し或は髪をぬき或は巌に身をなげ或は身を火にあぶり或は五処をやく或は裸形或は馬を多く殺せば福をう或は草木をやき或は一切の木を礼す、此等の邪義其の数をしらず師を恭敬する事・諸天の帝釈をうやまい諸臣の皇帝を拝するがごとし、