◎寸鉄
励ましで人々を立ち上が
らせる学会の行動は理想
―博士。真心の声、今こそ
◇
「真の友情とは、誠実さに
満ちている」格言。仏法は
振舞。電話一つも大切に
◇
幹部は「これならできる」
と皆が膝を打つ指揮を!
一人一人の成長に心砕き
◎名字の言
コミュニケーションについて考えさせられた2つの出来事
先日、ある一家のお宅を訪問した。家族で耳に障がいがないのは母一人。父と2人の子は難聴で、補聴器をつけて生活している▼玄関に入ると、子どもたちが手話で「こんにちは」「ようこそ」と歓迎してくれた。手話が分からない記者にも、思いは十分伝わってくる。仏間に上がり、一緒に唱題した。皆の呼吸はぴったり。思いやりにあふれた一家との懇談は、笑顔と温かい雰囲気に包まれた幸せなひとときだった▼その帰途、飲食店に入った。すると別のテーブルにいた中年の男性がスマートフォンを取り出し、部下らしき相手と何やら通話し始めた。店内に響きわたる声は、耳障りなことこの上ない。急ぎの用でもなさそうだ。横柄な口調で話し終えると、そそくさと代金を払い、店を出て行った▼コミュニケーション能力とは何か――。優れた機器を持っていても、相手や周囲を気遣えない人がいる。一方で、音声による「聞く」「話す」ことが困難でも、笑顔で思いを伝え合い、皆を温かく包む人がいる。改めて「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と強く思った▼時代とともに技術は進歩し続ける。だからこそ、より誠実に、より真剣に、真心の対話を。心を通わせ、心を結ぶ語らいを。そう決意した一日の出来事だった。(実)
◎フランス第二共和政(フランスだいにきょうわせい、仏: Deuxième République)は、1848年の二月革命から1852年のナポレオン3世皇帝即位(第二帝政の成立)までの期間のフランスの政体を指す。
第二共和政の発足当初はブルジョワと社会主義者の協調が図られたが、実際の政策運営にあたって対立が先鋭化し、六月蜂起へと至った。これにより保守化したブルジョワ・農民は社会的安定を求めて強力な指導者を求め、一方で新政府に失望した労働者も強力な指導者による保護を求めた。こうした中、ナポレオン1世の威光を帯びたルイ=ナポレオン・ボナパルトが各層の広範な支持を得て権力を掌握し、1852年に皇帝に即位したことで第二共和政は崩壊した。本項は1848年のフランス革命の続きである。
◎ヨシフ・スターリンの死後、ソ連の最高指導者に就任。スターリン批判によってその独裁と恐怖政治を世界に暴露した。非スターリン化に基づいて個人崇拝を否定し、集団指導(英語版)を掲げた。在任時には、アメリカ合衆国を中心とする西側陣営と平和共存を図り、軍拡競争を抑制して軍縮と宇宙開発競争を積極的に行った。他方で中華人民共和国およびアルバニアと激しく対立し、ハンガリー動乱に際して軍事介入を行い、キューバ共和国に核ミサイルを配備してキューバ危機を招いた。
また、自身が無神論者であった為宗教に対する弾圧を再び強化した。それでも、スターリン時代よりは物流や学術の交流といった点で開放的だったとされている。
◎エドゥサ革命(エドゥサかくめい、タガログ語: Rebolusyon sa EDSA, 英語: Edsa Revolution)とは、1986年2月22日のフィリピン軍改革派将校のクーデター決起から25日のアキノ政権樹立に至るまでフィリピンで発生した革命である[1]。「エドゥサ(EDSA)」は政権に抗議する100万の群衆が集まったマニラ首都圏の、アギナルド空軍基地(国防省が同居)があるエピファニオ・デ・ロス・サントス大通り (スペイン語: Epifanio de los Santos Aven
【一年前】
◎朝
妻と娘「お父さん元気んよかー??」
私「そうかね」
「どこでも行くし、フットワークの軽か」
「今日は事務所→マッサージ→ジム、
明日は朝発→飯塚に古代史→博多サウナ泊、
明後日また国税局」
「なら晩御飯は今日も明日も要らんね」
【二年前】
◎国税局電話相談員3日目/8日
??ネネネネ………
オタクわからないですよ?
………オタクこそわかりづらいですよ?
?冷静な私でも相当ムカついた?
?????
夜叉?
妻「帰ってきて顔見てすぐわかったもん、
そういう人にまだ会わんといかんということ、
すぐ慢心になるけん………
罪障消滅させて貰うたたい………
単純でわかりやすか?」
?マッサージで怒りが中和されました。
?
【三年前】
「大正6年!何歳?……お、100歳!」
100歳の方の確定申告を今日初めてチェックしました。しかも私と同じ「猿渡」という苗字のおばあちゃん。青色申告の不動産所得、申告納税額も有り!
20年程前に御主人の相続税申告をし、それ以来繋がっています。本当にありがたいご縁です。遠いどこかで繋がっているのだと思います。?
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開目抄 0186〜0237
いま、これを論ずるにあたり、まず、主師親の三徳を具備しているのは仏にかぎることを述べてみる。
むろん、世間においてもその一分の徳を備えた人もいる。また当抄にお示しのごとく、儒教においても、インドのバラモンにおいても、それぞれ主として師としてまた親として仰いでいる理想の人をあげている。
中国の儒教においては、三皇・五帝・三王を天尊と号し、諸臣の頭目、万民の棟梁として敬ったが、その説くところは結局、永遠の生命に立脚しない低き哲学であった。ただ人間としての最低道徳または処世の法を説いたにすぎなかった。ゆえに本文には「此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去を・しらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし、但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば 傍輩も・うやまい名も国にこえ賢王もこれを召して 或は臣となし或は師とたのみ或は位をゆづり天も来て守りつかう、所謂周の武王には五老きたりつかえ後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし此なり、而りといえども過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず」(0186-12)と破折されているのである。まったく、主師親を崇むべきことを強調し、仏法流布の初門露払いの役目を果たしていたのである。