【二年前】
◎朝朝夕顔
「−−世間というはわからぬものよ。大坂方の大忠臣よ、大黒柱よといわれた片桐どのは、褒美を貰うて生き残り、何のかのと悪しざまに噂された大野どのは、秀頼さまのお供をしてご自害された」
(正午(ひる)前から何を鳴きくさるぞ………)
日ぐらしは、且元に、豊太閤のあの哀しい辞世を想い出させ、………
露(つゆ)と落ち露と消えぬるわが身かな
浪花(なにわ)のことは夢のまた夢
同じ姉妹でありながら阿江与(あえよ)の方だけは、徳川家にあるばかりに淀の方とは雲泥の差………いったいこの差を、誰が、どんな基準で、つけていくさるのか………?
………しかし、胸の底の底で、一つの疑惑だけはカッキリと活きていた。
それは、秀頼が、果たして太閤の真実の子であったろうか、という疑惑であった。
太閤が閨(ねや)の中で、憑かれたように繰り返す言葉はいつもきまっていた。
「−−さあ寧々(ねね)よ。今夜こそわしの子を孕(はら)んでくれよ。わしは和子が欲しいのじゃ」
(ほんとうに、今日の処刑人は太閤の孫なのだろうか………?)
世の中は不昧(ふまい)因果の小車や
よしあしともにめぐり果てぬる
「太閤さまが、朝顔を作っておわすころは、日の出の勢いでござった………」
「あれをご覧下され。わしには、あの垣根が、太閤さまの城に見える………あの朝顔が………太閤さまの………太閤さまの、精霊に見えてくる………」
………このとき且元は六十歳であった。
【徳川家康26巻】
【三年前】
今朝は大牟田は霧でした。
私「お、霧の摩周湖!」
妻「古さ〜!ここは大牟田です」
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箱根駅伝創価大学見事12位!(前回20位)
8区で15位から12位に追い上げた米満怜君、1区の大山君と同じ大牟田高校出身です!
大牟田高校から二人も出場。
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第三章 亡国の元凶・真言を破す 0185.02〜0185.10
現代語訳
そもそも考えてみるにインドや中国における仏法の邪正については、しばらく別にして、日本国の亡びる原因を勘えてみると、これは真言宗の元祖である東寺の弘法と天台山第三代の座主・慈覚との両大師が 法華経と大日経との勝劣に迷って、日本第一の聖人である伝教大師の正義を隠して以来、比叡山の諸寺は慈覚の邪義に従い、神護寺や七大寺は弘法の誤った考えに従うようになった。それ以来、国王や臣下らは邪師を仰ぎ、万民がこの誤った考えに帰依した。このように邪義にこびへつらうとうになって、すでに久しく四百余年を経て、国は次第に衰え、王法もまた滅びようとしているのである。
かのインドの弗沙弥多羅王が八万四千の寺塔を焼き払い、無量の仏子の頚を切ったのも、中国の武宗皇帝が四千六百余所の寺院を滅壊し、全インドの僧尼を還俗させたのも、これは大悪人には違いないが、我が日本国の大謗法には及ばない。
それゆえに天は眼を瞋らして我が国をにらみ、地は怒って、ややもすれば地夭を起こすのである。国主は聖主でないのでその原因を知らず、もろもろの臣下も儒家ではないので、この原因を勘えない。そればかりか、この災難を消滅させようとして真言師を仰いだり、大難を除くために持斎等を供養している。これは譬えば火に薪を加え、冰に水を増すようなもので、悪法は尊めば尊ぶほど、国の大難はますます起こり、ただ今にもこの日本国は滅亡しようとしているのである。