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2019.11.26-2

2019年11月26日 (火) 01:44
2019.11.26

【一年前】
●『ロシア絵画展』(東京富士美術館)
昨年の国立新美術館はあまりピンと来なかったけど、今日は迫力スケール満点。ロシアはどうして音楽・文学・芸術等が素晴らしいのか?女性も綺麗?

メインの「怒濤の海」は一番高いので18万円のがあったが、見栄はもう張らず1万円の一点、その他は1,000円のと350円のもの、締めて25,000円位。我ながら買い方が上手になった。

美術館で母校に来るのもいいかも。
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●創価大学
6月にも来たばかりだが、何度来ても原点に戻れる。
「文学の池」と一期生の「草創の誓い」の碑には必ず来る。
最近は本部棟14階が最終地点。
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【二年前】    
●上海魯迅記念館/青年部交流団(聖教11/24)
何度も行きました。上海にて創価同窓が集まれる場が出来たことは、本当に奇跡的なことなのです。

「路(みち)とは何か。それは路のなかったところへ踏み作られたものだ。荊蕀(いばら)ばかりのところに開拓してできたものだ」とは、上海に魂魄を留めた魯迅先生の叫びです。

創価とは、試練があればあるほど、いやまして勇気と智慧を出(いだ)して、断固として勝ち越えてゆくことなり…

この不屈の負けじ魂を、誰にもまして深く強く受け継いでくれている誉れの開拓者こそ、上海の君たちであると、私は信じます。」
            
            
◎1935(昭和10)年のこの日、日本ペンクラブが創立された。
ペンクラブは、文学を通じて諸国民の相互理解を深め、表現の自由を擁護するための国際的な文学者の団体である。ペン(PEN)は、文字を書く道具としてのペンをあらわすとともに、Pは詩人(Poets)と劇作家(Playwrights)を、Eは随筆・評論家(Essaists)と編集者(Editors)を、Nは小説家(Novelists)をそれぞれ表す。

◎南満洲鉄道株式会社
(みなみまんしゅうてつどう、旧字体: 南滿洲鐵道株式會社、英語: The South Manchuria Railway Co., Ltd.)
1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)にポツダム宣言の受諾に伴って閉鎖された大日本帝国の特殊会社。南満州において鉄道運輸業を営んでいた。略称は満鉄(まんてつ)。

◎ハル・ノート(Hull note)
大東亜戦争(太平洋戦争)開戦直前の日米交渉において、1941年(昭和16年)11月26日(日本時間11月27日[1][注釈 1])にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている。正式には合衆国及日本国間協定ノ基礎概略(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)と称する[2]。

冒頭に「厳秘 一時的且拘束力ナシ」[3](Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment)という但し書きがあり[注釈 2]、アメリカ政府の正式な提案ではなく、ハルの「覚書」という側面がある[7]。日本で「ハル・ノート」という通称が用いられるようになった時期は明確ではないが、戦後の極東国際軍事裁判前後だと考えられる[8]。アメリカでは1941年11月26日アメリカ提案[9]、あるいは"Ten Points"とも呼ばれている[10]。

◎はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は、2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機で、ひてん、はるかに続くMUSESシリーズ3番目の工学実験機である。

2005年11月26日、はやぶさは2度目のイトカワ着陸を試みた。はやぶさは順調に航行し、予定通りイトカワにタッチダウンに成功し、イトカワからの離脱も行われた。しかし後に2度目の着陸時もコンピューターのプログラムミスが原因で、サンプラーホーンの弾丸は発射されなかった[35]。

その後はやぶさは燃料漏れが原因で姿勢を大きく崩し、一時通信が途絶えるなど数多くの困難に見舞われ、地球帰還も当初の予定の2007年から2010年6月になったが、2010年6月13日、無事に地球への帰還を果たした[36]。


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2019.11.26
一昨日御書 0183〜0184
第一章 立正安国の予言の的中を挙げる 0183.01〜0183.08
本文
一昨日御書    
文永八年九月    
五十歳御作   
与平左衛門尉頼綱
 一昨日見参に罷入候の条悦び入り候、抑人の世に在る誰か後世を思わざらん仏の出世は専ら衆生を救わんが為なり、爰に日蓮比丘と成りしより旁法門を開き已に諸仏の本意を覚り早く出離の大要を得たり、其の要は妙法蓮華経是なり、一乗の崇重・三国の繁昌の儀・眼前に流る誰か疑網を貽さんや、而るに専ら正路に背いて偏に邪途を行ず然る間・聖人国を捨て善神瞋を成し七難並びに起つて四海閑かならず、方今世は悉く関東に帰し人は皆士風を貴ぶ、就中日蓮生を此の土に得て豈吾が国を思わざらんや、仍つて立正安国論を造つて故最明寺入道殿の御時・宿屋の入道を以て見参に入れ畢んぬ、而るに近年の間・多日の程・犬戎浪を乱し夷敵国を伺う、先年勘え申す所・近日符合せしむる者なり、彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得・謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり、


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