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2019.11.17

2019年11月17日 (日) 00:50
2019.11.17

11月17日(日)
『公明党結党記念日』です。
1964年(昭和39年)より55周年?
『大衆と共に』

1183年11月17日 (寿永2年閏10月1日)
治承・寿永の乱: 水島の戦い

1845年 11月17日
ヴィクトル・ユーゴーが『レ・ミゼール』
(のちの『レ・ミゼラブル』)の執筆を始める。

1876年(ユリウス暦11月5日)
ピョートル・チャイコフスキーの『スラヴ行進曲』がモスクワで初演。

☆スラヴ行進曲??
アーミン・ジョーダン(指揮) スイス・ロマンド管弦楽団
8:58 | 21.9 MB  2015/09/09 配信
AAC 128/320kbps

◎1997年
北海道拓殖銀行が経営破綻。戦後初の都市銀行破綻。
               
                   
◎寸鉄
先を目指す人には新しい
地平線が見える―イギリス作家。
創立90周年へ希望の前進
               
                
◎『環境展』
(久留米リサーチパーク)
水問題………利用可能な水は地球の水の1%もありません。

この100年で、世界の海面は平均19?高くなりました。

日本の平均気温は、100年間でおよそ1℃高くなりました。

アマゾン川の水量は毎秒2億リットル
約30秒で人類68億人に1人1リットルの水を供給可能。

CO2もゴミも出さない『世界最先端』の環境都市
??アラブ首長国連邦 マスダールシティ市

90の公共交通が乗り放題『環境定期券』で脱マイカー?
??ドイツ フライブルグ市

50%が再生可能エネルギー?バイオマスで脱稼ぎ燃料
??スウェーデン ヴェクショー市

資源ゴミを野菜に交換?ごみの分別で生活支援
??ブラジル クリチバ市

森林保全への挑戦
2010年には
アジアだけで
日本の約3倍の
面積が植林。

再生可能エネルギー
1時間分の太陽エネルギーは、
人類が1年間に消費する
全エネルギーに匹敵します。

太陽光発電・太陽熱発電
風力発電
バイオマスと地熱エネルギー

今こそ、
環境エネルギー立国へ

石油に代わるエネルギー
「マグネシウム」
マグネシウムは海水などに豊富に含まれる金属で、燃やすと強い光と熱を発します。
1kgあたりの熱量は、
石油44メガジュール、
石炭30メガジュール、
マグネシウム25メガジュール
石油や石炭は燃やすと大量の二酸化炭素を出しますが、
マグネシウムは燃やしても酸化マグネシウムを出すだけです。

究極の循環型社会「江戸」
太陽エネルギーをフル活用「わら」「竹」
「ゴミ」にしない社会
着物?⇒古くなった着物⇒子ども用着物⇒ぞうきん
⇒灰(燃料費)⇒木綿⇒機織り⇒着物?
?

『わたしと地球』

☆終わって………
妻「環境も身近なところから。水を節約、電気を節約」
娘「お父さんは女を節約」?
妻「あははは………なんも言えねえね」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆

妻「恵ちゃんがお父さんにハグするなんて………
警察を二回も呼んだとに。恵ちゃんが変わったけんたい」

私「俺が変われば環境も変わる」
妻「お、言うた?そうよお父さんが変われば全て変わるとよ」
             
               
◎水島の戦い(みずしまのたたかい)
平安時代末期における治承・寿永の乱の戦闘の一つである。寿永2年閏10月1日(ユリウス暦1183年11月17日 グレゴリオ暦換算1183年11月24日)、備中国水島(現在の倉敷市玉島)において源義仲軍と平氏軍との間で行われた。


◎1963年(昭和38年)の東京都議会議員選挙(都議選)では17議席を獲得し、55年体制の下、戦後しばらく日本の国政で二大政党制を構成した自由民主党・日本社会党に次いで第三党に躍進する。1964年(昭和39年)、創価学会から公明政治連盟が切り離されて独立し、現在の日本の国政政党の公明党が誕生した。11月17日の結党大会は当時国内で最大級の規模を誇る施設であった日本大学講堂(当時、現在の両国国技館)で挙行され、1万5000人の党員が集結した。結成大会にはニューヨーク・タイムズ含め外国メディア14社の記者が取材に訪れた。[30]。

◎1876年6月、オスマン帝国軍によってセルビアのスラヴ人キリスト教徒が多数殺害された事件に際して多くのロシア人は殺害されたスラヴ人たちに同胞としての同情を感じ、セルビアへは義勇兵が援軍として赴いた。

チャイコフスキーの親しい友人であったニコライ・ルビンシテインは、チャイコフスキーにこの事件の犠牲者たちの追悼演奏会のための作品を依頼した。愛国心に駆られて、チャイコフスキーは「セルビア=ロシア行進曲」(Serbo-Russian March)と題された作品をわずか5日間で作曲した。この作品は1876年11月5日(グレゴリオ暦では11月17日)、モスクワで初演された後に改稿され、現在のスラヴ行進曲の原型となった。

この作品には、3つのセルビア民謡のほか、帝政ロシア国歌『神よ、皇帝を護(まも)りたまえ』が引用されており、そのため、旧ソ連時代にはオリジナルでの演奏が禁止されていた[1][2]。

◎11月17日の朝を迎える。午前8時20分、拓銀本店の記者会見場に経営陣が現れた。リストラを進めつつも信用不安報道が続き、道銀との合併延期で預金流出が止まらなかったことなど、苦しい営業譲渡への経緯を述懐し「明日以降の資金繰りの目処が立たなくなりましたので、北洋銀行に営業譲渡をする事と致しました」と述べ、最後に河谷頭取の「どうも、申し訳ございませんでした」との声と同時に、同席した全役員が起立し深々とお辞儀し謝罪した。これとほぼ同時期に、北洋銀行本店でも先程決定したばかりの営業引継ぎを発表。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

第11章 仏法破壊の史実挙げ量観らの大悪を示す 
0182.07〜0182終り

月氏国の大族王
 大唐西域記巻4によれば、タクカ国の王で才智があり、勇敢で近隣諸国を征服し、ある時、仏法を学ぼうとして国中に命じて名僧を求めたところ、もと王家の旧僕で徳を積んだ男が推挙されてきた。王はそれがかっての奴隷であったことを知り、仏法を敬う心をなくし、逆に仏法を廃し僧を追放した。後にマカダ国の幼日王に敗れ、カシュミラ国へ行って王位を奪い、更に、健駄羅国を攻めて王族・大臣を殺し、寺院・仏塔を破壊し、国民の大多数を仏教徒であるという理由で殺し、河に沈めるなどしたという。
 撰時抄には「大族王の五天の堂舎を焼き払い十六大国の僧尼を殺せし」(0286-05)と、大族王の仏法破壊の所業を記され、その罪ゆえに「大地振動して無間地獄に堕ち」たと述べられている。


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