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2019.11.13-2

2019年11月13日 (水) 01:40
2019.11.13

【一年前】
●1965年(昭和40年)
韓国の時の大統領は、国内の猛反対を押し切って日本との国交回復をしたとのこと。
命がけで?
そして暗殺。
韓国にとってもやっと出来たこと。
個人は置き去りにされていたのも無理からぬこと。
日本はもう少しその辺のところを分かってあげないといけないのでは。
政治もマスコミも。
民主化されて30年も経っていない。
?
   
【二年前】
●「ほら、今日は行くよ?」?
妻に連れられて来月84歳多宝会をお見舞い。
世界遺産宮原坑のすぐ近く。
選挙の時は自ら息子に電話して一票を投じてこられたとのこと。奥さんは先月80歳に。

昔の事をよく覚えてあります。
18歳で宮原杭に入り、53歳まで35年間炭鉱マンを勤めあげる。

「結婚されて何年ですか」
「…たしか25で結婚しましたから…」
「……わ〜ならもう58年?すごいですね?」
妻「奥様には感謝しかないでしょ?」
「そうですね?」

妻「こげんやって部員さんを夫婦で回るよ!!」

●「ばあちゃんとこも行くよ?」
ちょうど昼食時でスタッフの方々が、一緒に食べさせてあるところでしたが、ばあちゃんは椅子に目をつぶったまま………。
耳元に……
「ばあちゃん…ばあちゃん…潔よ…潔よ…」
「耳は聞こえとらすけん……」

『福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず』
(衆生身心御書1,596ページ)

●「紅葉を見に行こうよ!!」
佐賀の九年庵。多いやろね。
「なら来週の土曜日は?」

妻「夫婦で回られるけん私は幸せ??」


◎平安時代のこの日に、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠し、その満願の日のこの日に漆の製法を菩薩から伝授したとされる伝説から。
      
この日は、以前から漆関係者の祭日で、 親方が職人に酒や菓子などを配り労をねぎらう日であった。

文徳天皇
(もんとくてんのう、827年〈天長4年8月〉- 858年10月7日〈天安2年8月27日〉)
日本の第55代天皇
(在位:850年5月4日〈嘉祥3年3月19日〉- 858年10月7日〈天安2年8月27日〉)。
諱は道康(みちやす)。田邑帝とも。

惟喬親王
(これたかしんのう、承和11年(844年) - 寛平9年2月20日[1](897年3月30日)
平安時代前期の皇族。文徳天皇の第一皇子。
官位は四品・弾正尹。小野宮を号す。


◎パリ同時多発テロ事件(パリどうじたはつテロじけん)は、2015年11月13日(日本時間14日)にフランスのパリ市街と郊外(バンリュー)のサン=ドニ地区の商業施設において、ISIL(イスラム国ないしIS)の戦闘員と見られる複数のジハーディストのグループによる銃撃および爆発が同時多発的に発生し、死者130名、負傷者300名以上を生んだテロ事件である。

◎『Santa Fe』(サンタフェ)は、1991年(平成3年)11月13日に朝日出版社から発売された宮沢りえのヌード写真集。撮影は篠山紀信。発売当時の宮沢は18歳であり、18歳になったから撮影を持ち掛けたと篠山はのちに語っているが[1][2]、撮影時点では17歳であったとも報じられた[3][4][5]。宮沢が当時人気絶頂だったこともあって155万部のベストセラーとなり[6](出版科学研究所調べ、2003年6月までの集計で165万部[7])、これは日本における芸能人写真集の売上部数としては未だに破られていない(2003年6月までの集計で[7])。


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第11章 仏法破壊の史実挙げ量観らの大悪を示す 
0182.07〜0182終り

毘盧釈迦王は釈種九千九百九十万人を生け取りて並べ従えて殺戮す積屍莽の如く流血池を成す、弗沙弥多羅王は四兵を興して五天を回らし僧侶を殺し寺塔を焼く、説賞迦王は仏法を毀壊す、訖利多王は僧徒を斥逐し仏法を毀壊す、

毘瑠釈迦王は釈迦種族九千九百九十九万人を生け捕り、並べて殺戮した。このため、屍は莽のようであり、流血は池を成したといわれる。 弗沙弥多羅王は四兵をもってインド中の僧侶を殺し、寺塔を焼いた。説賞迦王は仏法を破壊し訖利多王は僧徒を追い払って、仏法を破壊した。


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