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2019.11.10

2019年11月10日 (日) 00:21
2019.11.10

おはようございます?
11月10日(日)

1444年11月10日
ヴァルナの戦い

1614年(慶長19年10月9日)
真田幸村(信繁)、九度山を脱出し、大坂城へ入城。

1968年11月10日
琉球政府で初の主席公選となる第1回行政主席通常選挙が行われ、屋良朝苗が当選。
            
            
◎朝9時すぎに起きたら妻はまだ布団の中………
「あら………
“睡眠負債”はなかろ。
よかこつよ、俺より長生きして貰わんといかんけん」
「それはわからん………休みの時くらいゆっくり寝させて」
………妻、起きてきて、
「化粧せんとすきっとせん」
「化粧せんでも綺麗かよ」
「よー言うよ」
?

◎「こんな感じでしょうか。」
関与先でもある広告代理店にお願いしていた広告。
12月5日と2月5日分。
この時期は「確定申告はお任せください」だけど、
「『相続税はお任せください』も反応がいいからどこかに入れていただきませんでしょうか」
と二三日前に言っていたら、
『相続税も親身になってお手伝いします』
「さすがバッチリですね???」
「これでよろしくお願いします??? 」

「ありがとうございます?」

◎「新宮で働き始めたのでよかったらいらしてください? 」
ラフィネマッサージに10年以上勤めたあと、自分でお店を出して、結婚して福岡市に移り、今度は『アカスリ』の研修を受けていた子30歳。もうそろそろかなと思っていたら連絡がありました。

あ、ちょうどよかった? 今日イオン香椎浜店で西田さんから二ヶ月ぶりフルコースで揉んで貰うから帰りに寄ろうかね???

すみません今日は友人の結婚式で休みなんです?

なら明日は?明日も福岡に映画3本見に来て、終わるのが………

コースどれにしましょうか?

なら、まずは50分しっとりコースからどうかな

明日はやっぱり車で来る。博多駅から約25分。20時過ぎに入って21時ね??
今まもなく香椎駅??

かしこまりました!

◎二ヶ月ぶり“高畑充希”似28歳からマッサージ
「二ヶ月ぶり、色白になって彼氏でもできた?」
「いえ、まだできません」
?

◎大吟醸『真野鶴』1800ml
福岡から帰ってきて………
今日も池田先生から戴いたお酒で晩酌??
最高?

先生から戴いたお酒と同じものをアマゾンで注文?

「【真野鶴】 大吟醸真野鶴の舞 720ml×6本」

ほろ酔い気分で朝から画面コピーした新聞を順次熟読?

妻「新聞は新聞、食事は食事だけに集中しないと折角作った料理の半減するよ!」
?
                
             
【一年前】
●朝
妻「あ、今日はご飯いらんやったね」

私「うん昼も夜も。楽にしとって。いつも苦労ばかりかけよるけん」

「苦労はずっとたい。今も?
スマホ忘れんごつ」

娘「車のランプも」 
?

  
◎昨日の失態を反省し………
スマホの自動ロックを30分から10分に変更?
【二年前に】

◎空き家を取り壊すと……
固定資産税評価額に掛ける「小規模住宅用地」の6分の1の計算が無くなるため、固定資産税が上がる?
例)固定資産税評価額2,400万円
×1/6(小規模住宅用地)
=400万円(課税標準額)
×1.4%=56,000円(固定資産税)

?取り壊すと………
2,400万円×1.4%=336,000
……6倍?固定資産税が上がる?

?“ほったらかし”が増えるのは当然?
「税制」も「税政」もおかしいのでは?


◎ヴァルナの戦い(ヴァルナのたたかい)
1444年11月10日に、現在のブルガリア、ヴァルナ近郊で起きた戦闘。オスマン帝国のスルタン・ムラト2世軍が、キリスト教国連合軍を敗退させた。ハンガリー王国が組織したヴァルナ十字軍最後の戦いであった。

◎大坂城入城
慶長19年(1614年)、方広寺鐘銘事件をきっかけに徳川氏と豊臣氏の関係が悪化する。

大名の加勢が期待できない豊臣家は浪人を集める策を採り、九度山の信繁の元にも使者を派遣して黄金200枚、銀30貫を贈った。信繁は国許(上田)にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかけ、九度山を脱出して嫡男大助幸昌と共に大坂城に入った。大坂で信繁が指揮を執っていた軍は、鎧を赤で統一していたという。

◎第1回行政主席通常選挙
(だい1かいぎょうせいしゅせきつうじょうせんきょ)
1968年11月10日に行われた琉球政府の行政主席選挙である。主席選挙が行われたのと同じ日に立法院議員選挙が、直後には那覇市市長選挙(市長である西銘順治が主席選挙に出馬したため、空席となったことによる選挙)も行われた。そのため、これらの選挙をまとめて「3大選挙」と呼ばれるようになった。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
2019.11.10
第十章 良観等の妄語の讒奏を破す 0182.03〜0182.07

伊豆流罪よりあとの難としては文永元年(1264)11月11日の小松原の法難がある。これは、大聖人が安房国東条郷松原大路を通行中、地頭の東条景信の率いる念仏者の襲撃を受けたものである。

この時、大聖人の随行は10人ほど、弟子の一人は即死、2人が負傷を負い、また大聖人自身も頭に傷を受けられ左手を折られた。これが本抄に仰せの「日蓮の身に疵を被り」に当たる。この時、鏡忍房と工藤吉隆が殉死したといわれる。

この時の様子を、南条兵衛七郎殿御書に「今年も十一月十一日安房の国・東条の松原と申す大路にして、申酉の時・数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人・十人ばかり・ものの要にあふものは・わづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとし・うつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけん・うちもらされて・いままでいきてはべり」(1498-04)と綴られている。


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