◎一世一元の制(いっせいいちげんのせい)とは、君主(皇帝、天皇、国王)1人につき年号(元号)を一つ制定する制度である。
一世一元の詔(いっせいいちげんのみことのり)
慶応4年9月8日(グレゴリオ暦 1868年10月23日)、慶応4年を改めて明治元年とするとともに、天皇一代に元号一つという一世一元の制を定めた詔。明治改元の詔ともいう。
国立国会図書館が運営する日本法令索引〔明治前期編〕では、昭和54年(1979年)の元号法制定によって一世一元の詔は効力が消滅したとされている[1]が、法務省大臣官房司法法制調査部編集『現行日本法規』では、明治22年(1889年)の旧皇室典範の制定により失効したとされている。
☆中国
大明太祖皇帝
1368年、紅巾軍の首領・朱元璋が南京で即位して明朝を樹立し、この年を「洪武元年」とした時に一世一元の制を採用した。明朝成立前の時代は、人心の一新を目的とする改元もしばしば行われていた。明の次の王朝である清朝も、明朝の一世一元の制を継承した。但し、明朝と清朝は、君主が交代しても直ちに改元せず、君主が交代した年の翌年元日から新元号が適用される「踰年改元」が普通であった。
☆ベトナム
阮朝嘉隆帝
清の冊封国であったベトナムでは、1802年に阮朝が建てられるとともに一世一元の制が行なわれた。
☆朝鮮
一世一元の制を実施した時期は、李氏朝鮮末期である。政府は、1895年(開国504年)11月15日に詔勅を発布し、翌1896年に太陽暦とともに建陽の元号を建て、当制度を採用した。さらに翌年の1897年には国号を大韓帝国と改めると共に元号も光武と改め、以後は1910年の併合により大韓帝国が消滅するまで一世一元が続いた。
◎最初のiPodはマッキントッシュ専用のデジタルオーディオプレーヤーとして2001年10月23日に発表され、2002年発売の第2世代でWindowsにも対応した。「iTunesのライブラリに収めた音楽を外へ持ち出す」というコンセプトで開発されており「まずiTunesありき」である点が、先行していた他のデジタル音楽プレイヤーとははっきり異なる。
◎新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)
2004年(平成16年)10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13キロの直下型の地震である。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来、当時観測史上2回目の最大震度7を記録した。なお、1996年の震度改正以降、震度計によって震度7が観測されたのは、この地震が初めてである。
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第七章 律宗を誑惑の法と論断する 0181.07〜0181.13
つまり、初心の者はいまだ縁に紛動されやすいということから、大小の二法を兼ねて修行することが禁じられ、大乗戒と小乗戒は厳しく区別されたというのである。
伝教大師が顕戒論には玄奘三蔵の大唐西遊記を引いて、インド・西域の諸国に大乗を修学する国・大小を兼学する国、ただ小乗を学する国の三種があるように、仏寺にも一向大乗寺、一向小乗寺、大小兼学寺の三種があって、「初修行の菩薩は、其の小儀の比丘と同じく房舎に居せず、同じく床に坐せず、同じく路を行かざる事を」と述べている。
また智証の著した受決集巻上にも「西国の三蔵云く『西天には大小二乗に僧同路を行くを得ず。謂く一の大路に於いて分かって三街と為し、中央を以って王の路と為す。即ち大乗の僧之を行く。分かつ所以は、二部寺を異にす。河を分かって飲まず、相見ること亦希なり』とあり、「西天」すなわちインドでは、大乗を修学する僧は王の道である中央の道を歩き、小乗を修行する僧は左右の狭い道を歩き、両者は同じ道を歩くことがなく、同じ河の流れの道を飲むこともなく、互いに姿をみることさえ、まれであったと伝えられる。