おはようございます?
10月21日
1520年10月21日
フェルディナンド・マゼラン、マゼラン海峡に到達。
エステバン・ゴメスが脱退したため、踏破は11月28日にずれこむ。
1600年10月21日
関ヶ原の戦い
1805年10月21日
トラファルガーの海戦(1805)後の英国海洋覇権の象徴となった
◎朝
妻「今日は?」
「今日もまた福岡で映画」
「ほ?家におっとよかとに」
「家におってもすることがない」
「あはッ?確かに………タフではあるね〜」
◎前進地区
妻「新聞啓蒙、うちの地区がトップばい、すごさ〜??」
◎普段の食事から減塩を(公明新聞)
日本人の一日平均摂取量⇒厚生労働省推奨
男10.8? ⇒ 8?未満
女9.1? ⇒ 7?未満
高血圧の人⇒ 6?未満に?
☆シニア世代は増える傾向?
○
コショウや七味唐辛子などの香辛料を上手に使う
味噌汁は具だくさんに
惣菜を買うときは野菜や豆類や海草も(カリウム)
×
麺類のスープは全部飲み干さない
調味料は直接かけずに小皿に入れて付けて食べる
外食が続くのは避ける
栄養成分「塩分」が上に来ているものは避ける
食塩量ではなく「塩化ナトリウム」は要注意(2.5倍)??
☆できるところから無理なく??
◎連立20年
「意見の違いを乗り越えて合意をつくる経験と知恵と人脈があるのが自公政権。だから安定している」
?
◎「年金支給日のほうが給料支給日より消費が盛り上がる」?
(日経)
◎帰ってきたムッソリーニ
2018|イタリア|SONO TORNATO|96分
20:25~22:05KBCシネマ
監督:ルカ・ミニエーロ
出演:マッシモ・ポポリツィオ、フランク・マターノ、ステファニア・ロッカ他
イタリア映画祭2019にて特別上映され、全席完売の話題作がついに公開!
もしムッソリーニがまた権力を握ったら?再び独裁政治(ファシズム)が復活するのか?!
ミニエリーニ監督
「この作品の問いはシンプルだ。ムッソリーニが現代のイタリアで再び権力を握ったらどうなるのか?」
作中でムッソリーニ
「この国の問題は忘却だ」
本作は、一見政治性のないように見える慣れ親しんだ行為が、恐るべき政治を招来する可能性があるという警告だ。だが何より恐ろしいのは、そのことにうすうす気づきながら、立ち塞がって流れを止めようとする人があまりに少ないこと、あるいはそうして立ち塞がることを、「売れない」と冷笑する人があまりに多いこと、かもしれない。
◎フェルディナンド・マゼラン(1480年 - 1521年4月27日)
大航海時代のポルトガルの航海者、探検家である。1519年に始まる航海でスペインの艦隊を率いた。マゼラン自身は航海半ばの1521年に亡くなったものの、部下のスペイン人フアン・セバスティアン・エルカーノが艦隊の指揮を引き継ぎ、1522年に史上初となる世界周航を達成した。
艦隊は1520年8月24日に航海を再開、香料諸島へ通じる海峡を探してさらに南下を続けるが、それまでの調査航行中にサンティアゴ号が難破して失われてしまった。
そして1520年10月21日、ついに西の海へと抜ける海峡を発見した。これは後にマゼランの名前をとってマゼラン海峡と呼ばれることになる。しかしマゼラン海峡を抜ける途中で艦隊最大の船であったサン・アントニオ号(エステバン・ゴメスが航海長である)がはぐれた。サン・アントニオ号の船長メスキータはあくまで艦隊を探し合流することを主張したが航海長ゴメスが反対して船長を拘束、艦隊に残る食料の多くを積んだまま、スペインに引き返し、1521年5月6日スペインに帰国した。
ゴメスの反乱でサン・アントニオ号が勝手に帰国してしまい艦隊は3隻となってしまったが、そのことを知らないマゼランは海峡のなかでサン・アントニオ号が戻ってくるのを待つ。待っている間に海峡の前途に小艇を偵察に出すが、3日後に戻ってきた小艇は海峡を抜けたところに広大な海を見つけたと報告する。マゼランはついに大西洋から太平洋につながる航路を発見したのだった。ピガフェッタは「提督は喜びのあまりはらはらと涙を流し、水路の出口の岬を「待望の岬」と命名した-ピガフェッタ(2011)、p.49」と伝えている。やがてサン・アントニオ号の捜索をあきらめた艦隊は先に進み11月28日ついに太平洋に到達する[62]。狭いが複雑に入り組んだ海峡を慎重に探りながら進んだことと、勝手に帰国したサン・アントニオ号をはぐれてしまったのだと思って待ち続けたことで海峡を抜けるのに1ヶ月以上もかかってしまった。
◎関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)
安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある。
◎トラファルガーの海戦(英: Battle of Trafalgar、仏: Bataille de Trafalgar)
1805年10月21日に、スペインのトラファルガー岬の沖で行なわれた海戦。ナポレオン戦争における最大の海戦で、イギリスはこの海戦の勝利により、ナポレオン1世の英本土上陸の野望を粉砕した。
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第七章 律宗を誑惑の法と論断する 0181.07〜0181.13
続いて、同御書に、大聖人は「何に況や滅後の誑惑の小律の法師原をや、小戒の大科をばこれを以て知んぬ可し」(0349-02)と述べ、釈尊在世の阿羅漢でさえも、これに供養した人は三悪道に堕ちるのであるから、まして釈尊滅後の悪世末法において、人々を誑惑する小乗教の律師に対し布施・供養することはもっとも大きな罪となると厳しく警告されている。
大聖人は諸御書で、大乗の菩薩の戒を「金銀戒」とし、それに対して、小乗・阿含経の二乗の戒を「瓦器戒」と呼ばれ、これにとらわれている者は永劫に成仏できない、と破折されている。
十法界明因果抄に「二乗の不殺生戒は永く六道に還らんと思わず故に化導の心無し亦仏菩薩と成らんと思わず但灰身滅智の思を成すなり、譬えば木を焼き灰と為しての後に一塵も無きが如し故に此の戒をば瓦器に譬う破れて後用うること無きが故なり、菩薩は爾らず饒益有情戒を発して此の戒を持するが故に機を見て五逆十悪を造り同く犯せども此の戒は破れず還つて弥弥戒体を全くす、故に瓔珞経に云く『犯すこと有れども失せず未来際を尽くす』文、故に此の戒をば金銀の器に譬う完くして持する時も破する時も永く失せざるが故なり」(0434-06)とある。
これも大聖人は勝手に言われたのではなく、清浄毘尼方広経に「破れた瓦器の補修す可らざるが如きは、是れ声聞毘尼なり、金銀の器の破れたるは、還って修治す可きが如きは、是れ菩薩毘尼なり」と説かれているのを踏まえられたのである。