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2019.10.4

2019年10月04日 (金) 03:00
2019.10.4

今日と明日、税理士会大牟田支部の旅行で、大阪と、初めての奈良県、それに「なんば花月」に参ります。?

いつもの大栄会二人の相棒が不参加でかなり寂しいですけど、「ほかの人とも仲良くしてね」との慈悲と捉えて頑張ってきます??

法隆寺と東大寺、歴史的なお寺ですけど、『南無妙法蓮華経』?と、大きな声で唱えるとたぶんひんしゅくを買うかと思いますので、小さな声で唱えてきます?

「秋雨前線」は我々が追っかけて逃げていくようです。

おはようございます
10月4日(金)

白村江の戦い(663)。
唐(左:武則天)はその後高句麗を滅ぼし最盛期に入る一方、
倭国(右:天智天皇)は日本へと国体を移行することになる。

フェートン号事件(1808)。
ナポレオン支配下のオランダとイギリスは、ナポレオン戦争で敵対中であった。

スプートニク1号打ち上げ(1957)
             
               
◎朝の食卓で
私「恵ちゃん、その可愛〜いか声そのままで題目あげるといいとに」
娘「?」
「せっかく可愛い声しとるのだから………」
娘「モリナガモリナガ」
妻「あははは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
「女子部の大幹部のごたる声であげんで、その自然のままの声で………」
「モリナガモリナガ」
妻「お父さんの題目の変わったら恵ちゃんの題目も変わるたい」

【一年前】
●朝の食卓???
私「『コーヒーが冷めないうちに』 とってもいい映画だった。
薬師丸ひろ子『あなた誰?』心の準備が今からは必要かも」
妻「な〜ん!!
私がボケたら『なんしよっとか!!』て怒るやんね、
ボケとる余裕はなか。
風邪引いても『鍛え方の足らん』ていうくせに」
「そうね、その覚悟ならよかたい」
「私も見に行こうかな」
??
  
◎選んだ月の写真から明らかになるあなたの性格
「どんな状況でもポジティブ」
「大きな夢の実現のために常に努力を重ねる」
「時にその親切心に付け込むような人も存在」
「躊躇なく怒りの感情を表現」
「憎しみが消えることはありません」
――そんとおりやん???

◎早朝の創大?(小川氏より) 原点に戻れます??

◎明日の税理士会支部旅行の会費3万円と昨日金庫に一万円立て替えたので4万円を今日貰いたいんだけど、出費多難だから

◎関与先が戻ってきた?
六年前にイヤーな感じで関係が終わっていた会社が、実質的な前経営者との関係が解消され、今の税理士が何も相談に乗ってくれないということで、戻って来られることに。
六年前は前社長を安い退職金と乗っ取りの株式代金で追い出そうとする実質的な経営者に、私は当時爆発的に人気となった『半沢直樹』となってしまい、決算前に干されてしまいましたが、今回も“決算から”私の方に乗り換えられるとのこと。
六年かけて“一矢(いっし)報いた ”感じ。
その税理士はたぶん今日からの税理士会大牟田支部の旅行でも一緒だと思うけど。


◎司法書士より
お世話になります。
本日、信金からニコスの抹消書類の再発行分を受け取り、法務局に申請をしています。
再発行のため、申請後も通常より時間のかかる手続になりますが、2週間ほどで終わると思います。
終わりましたら、改めて連絡いたしますので、よろしくお願いします。

了解しました。大変お手数おかけします。よろしくお願いします??


◎白村江の戦い
(はくそんこうのたたかい、はくすきのえのたたかい)
天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のことである。
年月日:
(旧暦)天智天皇2年8月27日 - 同年8月28日
(ユリウス暦)663年10月4日 - 10月5日
場所:朝鮮半島、白村江(現在の錦江近郊)
結果:唐・新羅連合軍の勝利

◎東アジアのトラブルメーカー
韓民族こそ歴史の加害者である 石平
「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」
しかしそれでは、日本民族は子孫代々、いつまで経っても、半島の人々にたいして、平身低頭して謝り続けなければならない。
韓国人は常に、韓民族はその長い歴史において、たびたび外国から侵略を受けてきたと主張しているが、それは一概に真実とはいえない。大半の場合、むしろ韓民族自身が、外国に嘆願するような形で、外からの侵略軍を半島内に招き入れてきたのだ。
つまり彼らは「侵略」されたわけではない。自ら外国から勢力を頼って、自国を侵略をさせただけの話である。そう言われてもにわかには信じ難い話かもしれないが、それが歴史的事実なのである。

◎フェートン号事件(フェートンごうじけん)
文化5年8月(1808年10月)、鎖国体制下の日本の長崎港で起きたイギリス軍艦侵入事件。ヨーロッパにおけるナポレオン戦争の余波が極東の日本にまで及んだものである。

文化5年8月15日(1808年10月4日)、ベンガル総督ミントーの政策によりオランダ船拿捕を目的とするイギリス海軍のフリゲート艦フェートン(フリートウッド・ペリュー艦長[1])は、オランダ国旗を掲げて国籍を偽り、長崎へ入港した[2]。これをオランダ船と誤認した出島のオランダ商館では商館員ホウゼンルマン(Dirk Gozeman)とシキンムル(Gerrit Schimmel)の2名を小舟で派遣し、慣例に従って長崎奉行所のオランダ通詞らとともに出迎えのため船に乗り込もうとしたところ、武装ボートによって商館員2名が拉致され、船に連行された。それと同時に船はオランダ国旗を降ろしてイギリス国旗を掲げ、オランダ船を求めて武装ボートで長崎港内の捜索を行った。長崎奉行所ではフェートン号に対し、オランダ商館員を解放するよう書状で要求したが、フェートン号側からは水と食料を要求する返書があっただけだった。

◎スプートニク1号(スプートニク1ごう、露: Спутник-1)
ソビエト連邦が1957年10月4日に打ち上げた世界初の人工衛星である。重量は 83.6kg。Спутникはロシア語で衛星を意味する。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

行敏訴状御会通 
第五章念仏無間の論難に答える     

禅宗では「教外別伝」などと主張している。すなわち「仏法の神髄は一切経の外にあり、それは釈尊が涅槃の時に経文に依らずに、別に迦葉に付嘱した。その法を伝承しているのが禅宗である。釈尊の真意は経典ではなく、経典によって法を求めても仏法の神髄は得られない。経文によらないで座禅することによって悟りは得られるのである」と主張している。そこから、経典を「月をさす指」と言い、月をさしてしまえば指は必要ないように、経文などは不要であるとしているのである。


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