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2019.10.2

2019年10月02日 (水) 00:00
2019.10.2

おはようございます??????
10月2日(水)
「世界平和の日」

1960(昭和35)年 10月2日
池田先生は初の海外指導の旅へ

1869年10月2日
インド独立運動の指導者で、非暴力を説いたマハトマ・ガンジーの誕生日。

1932年10月2日
リットン報告書発表(1932)。
日本の正当性を否定しながらも実益を認めた提言は受け入れられなかった。


◎朝
妻「恵ちゃん(娘)行ってらっしゃい、“車”に気をつけてね?」
私「………お母さんは“足元”に気をつけてね」
妻「あはっ………あ、そうね。………お父さんは?」
私「お父さんは………“女”に気をつけてね」
妻「そうたい、分かっとるならよかたい」
??

◎速攻で相続税申告書を一件まとめる?
10時半頃から追加資料の入力を始め、最終チェックと修正、整理………申告書6部の印刷を始めたのが12時20分頃。
………製本………
申告書一式6部をまとめ、私の印鑑を押したのがちょうど1時。
「ピーポーン」ジャスト来客?
「できたてのほやほやです」
?

☆夕方マッサージ嬢
「腕の付け根が」
………「集中力かな」

別件の相続税申告で大牟田税務署に「閲覧」をしに、
今日午後行くことになったので、今日提出。
今日午前中も別件の相続税処理。


◎三つの「しごと」(名字の言)
「仕事」「私事」「志事」――覚えとこ?

◎インド
全てのメンバーで唱えた題目が
4か月で115億遍?????

◎100歳ブラボー人生
「そりゃあ題目足りないんだ。金が出るまで題目あげろ」
(戸田先生)
「この信心、やめても分かるぞ」(戸田先生)
「題目あげるために、俺は生まれてきたんだね」
「余地を交えず題目あげんの」
「一万円札を二万円にする信心しろ」
「不詳の弟子ですが、広宣流布のために力を出させてください、知恵を出させてください、お役に立ちたいんです」
「女房をもっと大切にすればよかった」
「女性を大切にすること、これです」
☆ほんと凄い????

◎「税制も衣替え」(北斗七星)
消費税が8%から10%へ。
軽減税率もスタート。
10月1日は「消費税10%の日」
          
            
【一年前】
●学会交流団が上海へ
「我々の出る幕ないかな?!」
友「何も連絡ありません。7期長岡が仕切ってるらしい」
「彼は頑固そう?」
    
「今回は上海行きはなさそう?」
美(メイ)「怎?了?」(どうしたの?)

妻「よかよか?
地域で実証示さんなら、
あなたの主戦場はこっち。
上海行くよりブロックを回らんなら」
?
「……確かに上海よりブロックの方が厳しい」
?

【二年前】
●最近の夢
「最近は夢の中で必ず、若くて可愛い子がすっと寄って来て付いてくる。なんでやろか」

妻「まだ求めとるということたい」

「いや向こうからそっと寄り添って来るよ」

「そんかこつなかったけんたい?求めてくるのはお金目的? 自分に都合のよ〜かごつとったごして?もう60にもなっとっとに?」
???
            
                       
◎ 「新しき歴史を、この手で」
10月2日は「世界平和の日」です。1960(昭和35)年のこの日、第三代会長池田先生は初の海外指導の旅へと出発します。SGI(創価学会インタナショナル)は今日、世界192カ国・地域へと拡大していますが、その旅立ちとなったのが、まさしくこの日だったのです。
「新しき歴史を、この手で、断固、開くのだ」。世界広布への旅立ちを前に、32歳の池田先生の胸には決意の炎が燃え上がっていました。世界への広宣流布は日蓮大聖人の御遺命であるとともに、第二代会長戸田先生から託された使命でもありました。戸田先生は逝去の直前、池田先生に対して次のように語っています。「君の本当の舞台は世界だよ」「世界へ征くんだ」と??。機上の人となった池田先生の胸のポケットには恩師・戸田先生の写真がありました。

◎モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー
(Mohandas Karamchand Gandhi)
1869年10月2日 - 1948年1月30日
インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者である。

◎リットン調査団
(リットンちょうさだん、Lytton Commission)
国際連盟によって満州事変や満州国の調査を命ぜられたイギリスの第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンを団長とする国際連盟日支紛争調査委員会より出された調査団の通称である。

1931年(昭和6年)、南満州鉄道が爆破される柳条湖事件が発生した。翌年、関東軍は清朝最後の皇帝溥儀を執政として満州国を建国した。

同年3月、中華民国の提訴と日本の提案により連盟からリットン卿を団長とする調査団が派遣され、3カ月にわたり満州を調査、9月に報告書(リットン報告書)を提出した。

調査団の旅程 編集
調査団はまっすぐ満洲入りするのではなく、日本、中華民国(上海、南京、北京)の視察も行っている。日本では荒木陸相、中華民国では蒋介石、汪兆銘、張学良、満洲国では当時「執政」の座にあった溥儀と会談している。

さらに満洲で抗日活動を続ける馬占山将軍との会見も試みたが、日本側の反対に会い実現できなかった。調査団の視察は1932年6月に完了。8月より北京で調査報告書の作成を開始し、10月2日、報告書を公表した。

柳条湖事件及びその後の日本軍の活動は、自衛的行為とは言い難い。

満洲国は、地元住民の自発的な意志による独立とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられている。
と、中華民国側の主張を支持しながらも、

満洲に日本が持つ条約上の権益、居住権、商権は尊重されるべきである。国際社会や日本は支那政府の近代化に貢献できるのであり、居留民の安全を目的とした治外法権はその成果により見直せばよい。一方が武力を、他方が「不買運動」という経済的武力や挑発(irritation)を行使している限り、平和は訪れない。
などの日本側への配慮も見られる。

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行敏訴状御会通 
第五章念仏無間の論難に答える                                      
又云く禅宗は天魔波旬の説と云云、 

此又日蓮が私の言に非ず彼の宗の人人の云く教外別伝と云云、 
仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云、 教外別伝の言豈此の科を脱れんや、

これについていえば、これもまた、日蓮の私の言ではない。禅宗の人々は「我が法は教外別伝である」と述べているが、仏の遺言に「我が経の外に正法があると言えば、それは天魔の所説である」とある。教外別伝の言は、どうしてこの科を脱れることができようか。


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