◎エウクレスが完全武装のまま戦地から駆け、都市の男達の最初の門に飛び込み、「万歳!我々が勝った!」とだけ言ってそのまま力尽きた。
――プルタルコス『アテナイの勝利について』(1世紀)
戦争:ペルシア戦争
年月日:紀元前490年9月12日(諸説あり)
場所:ギリシアのマラトン
結果:アテナイ・プラタイア連合軍の勝利
◎プルタルコス(希: Πλούταρχος、羅:Plutarchus、46年から48年頃 - 127年頃)は、帝政ローマのギリシア人著述家。著作に『対比列伝』(英雄伝)などがある。英語名のプルターク(Plutarch [?plu?t?rk])でも知られる。
◎1910年9月12日及び13日、ミュンヘンにて、マーラーの指揮による。マーラーは、この年4月にアメリカで交響曲第9番を完成した後、3度目のヨーロッパ帰還を果たしてこの初演に臨んだ。夏にはトーブラッハ(当時オーストリア領・現在のドロミテ・アルプス北ドッビアーコ)で交響曲第10番に着手している。
◎ラスコー洞窟(ラスコーどうくつ、仏: Grotte de Lascaux)は、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の南東の丘の上に位置する洞窟である。先史時代(オーリニャック文化)の洞窟壁画で有名である。
ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である。これは1940年9月12日、モンティニャック村の少年が、穴に落ちた飼い犬を友達3人と救出した際に発見された。洞窟の全長は200メートル程度。
洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは20,000年前の後期旧石器時代のクロマニョン人によって描かれていた。炭酸カルシウム形成が壁画の保存効果を高めた「天然のフレスコ画」と言うことができる。
◎竜の口の法難(たつのくちのほうなん)
文永8年(1271年)9月12日の深夜、日蓮大聖人が斬首の危機に遭われた法難。大聖人は、9月10日に平左衛門尉頼綱[へいのさえもんのじょうよりつな]の尋問を受け、同月12日の夕刻に頼綱が率いる武装した多数の軍勢によって鎌倉の草庵を急襲された。その際、大聖人は少しも動ずることなく、かえって頼綱に対し、謗法を禁じ正法を用いなければ「立正安国論」で予言したように自界叛逆難・他国侵逼難が起こると再度、警告された。これは、第2回の国主諫暁と位置づけられる。
大聖人は捕縛され、鎌倉の街路を引き回されて、武蔵守[むさしのかみ]兼佐渡国の守護[しゅご]であった北条宣時[ほうじょうのぶとき]の邸宅に勾留された。ところが、その深夜(現代の時刻表示では13日の未明。当時は夜明け前、午前3時ごろまでは前の日付を用いた)に突然、護送されることになり、鎌倉のはずれの竜の口あたりに到達した時、斬首が試みられた。しかし突如、江の島の方から光り物が出現し、その試みは失敗した。
大聖人は、竜の口でのこの体験を通し、末法の凡夫[ぼんぷ](普通の人間)である日蓮の身は、業の報いをすべて受けてこれを消し去って、死んだととらえられた。そして、法華経の行者としての魂魄が佐渡に流されたと位置づけられている。すなわち、竜の口の法難を勝ち越えたことを機に、宿業や苦悩を抱えた凡夫という姿(迹[しゃく])を開いて、凡夫の身において、生命に本来そなわる仏の境地(久遠元初[くおんがんじょ]の自受用身[じじゅゆうしん]という本地[ほんじ])を顕されたのである。この御振る舞いを「発迹顕本[ほっしゃくけんぽん]」と拝する。
【一年前】
●第11回上海地区校友会
2018年9月2日 幹事長挨拶(同級生??)
みなさん、こんにちは。
………
ここにいる皆さんそれぞれが、中国に上海に来た理由は違うと思います。望んできたわけでは無い人、学生時代に中国語と縁のなかった人、会社の事情で来ざるを得なかった人もいるでしょう。しかし、間違いなく皆さんは先生の築かれた金の橋に連なる人です。仕事上の悩み、家庭の課題を持ちながら、現実との戦いから逃げずに、中国の地で生活する困難を共にする同志としての創価同窓の皆さん、金の橋に連なる誇りを、本日改めて確認したいと思いますが、如何でしょうか。
後ほど、国交正常化提言についての研究発表がありますが、現在とは国際情勢が全く違う時代に、創価学会・公明党が世間的にも認められていない時代に、社会に向けて挑戦的な発信をされた先生の真意を私たちはよく考えなければなりません。先生の提言は、中国への先入観を捨てて、政治・イデオロギーにとらわれない人間外交を突破口に、世界平和の緒口を中国に見出そうとするものでした。提言から50年たった現在、中国の姿は大きく変わり、世界に影響を与える大国となりつつあります。その提言が正しかったことは、歴史が証明しているのです。しかし多くの日本人の感情は、侮中、嫌中という言葉に代表されるように、いまだ悪意の偏見と先入観に満ちています。現在、中国の現実を目の当たりにしている私達は、中国におもねることもなく、見下げることもなく、正しい姿を周囲の人たちに語る必要があります。
今年の後半には、日中平和友好条約40周年の行事が多く予定されています。上海では、10月末に創価大学と復旦大学共催の「池田大作思想研究フォーラム」が予定されています。改めて皆さんにはご案内をさせていただきますので、母校の活動の支援をよろしくお願い致します。
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行敏訴状御会通
第二章諸宗を非とする根拠を示す
また、道綽の弟子である善導も、その著、往生礼讃偈のなかで仏法の修行を正行と雑行の二行に分け、称名念仏以外の雑行は「千中無一」すなわち千人の中で一人も往生成仏しないと述べられているのである。更に、日本・浄土宗の開祖・法然はこれら中国・浄土教の祖師を更に広げて、法華経を含む一切経を誹謗した。その著・選択集に、浄土以外の、法華経を含む一切の教えに対し「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と誹謗しているのである。
中国・日本における浄土教の祖師たちの主張は、いずれも、「一を是」とし、「諸を非」としている。
そして今、訴人である念阿弥陀仏・道阿弥陀仏らに対して、鋭く矛盾点を突いていかれる。念阿良忠ら念仏の徒にとって、道綽・善導・法然は根本の師として仰ぐべき始祖たちである。