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行敏訴状御会通
第二章諸宗を非とする根拠を示す
この御文からは、良観が訴状のなかで大聖人を非難している各条項に対して、大聖人が逐次答え、反詰されていくのである。
最初に取り上げられた彼らの論難は「仏の教えは八万四千という膨大なものであるのに、そのなかで一教だけを是とし、諸経を非であるとするのは、間違っている」というものである。
要するに、仏は衆生の機根にしたがって法を説き、利益したものであるから、仏の説いた教えならば、一教として悪いものはなく、したがって、念仏も、真言も、禅も、律も、一つとして非なるものはない。それであるのに一つだけ正しく、他は間違っているとする日蓮の主張は、仏の心に背くものではないか、と非難しているのである。
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2019.9.11
行敏訴状御会通
第二章諸宗を非とする根拠を示す
これに対して、大聖人は、彼らが師とたのむ浄土宗の祖自身が、一を是とし諸を非としているではないかと、動かしがたい事実を挙げて痛烈に反詰される。
まず、中国・浄土教の祖師の一人である道綽の言葉を引かれている。道綽は安楽集に「いま末法は、五濁の悪世であり、この時には、ただ阿弥陀仏の浄土門のみが仏の路に通入する門である」と述べている。
道綽は、一切経を聖道・浄土の二門に分け、聖道門の経教を「末だ一人として成仏得道する者無し」と誹謗しているのである。
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2019.9.12
行敏訴状御会通
第二章諸宗を非とする根拠を示す
また、道綽の弟子である善導も、その著、往生礼讃偈のなかで仏法の修行を正行と雑行の二行に分け、称名念仏以外の雑行は「千中無一」すなわち千人の中で一人も往生成仏しないと述べられているのである。更に、日本・浄土宗の開祖・法然はこれら中国・浄土教の祖師を更に広げて、法華経を含む一切経を誹謗した。その著・選択集に、浄土以外の、法華経を含む一切の教えに対し「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と誹謗しているのである。
中国・日本における浄土教の祖師たちの主張は、いずれも、「一を是」とし、「諸を非」としている。
そして今、訴人である念阿弥陀仏・道阿弥陀仏らに対して、鋭く矛盾点を突いていかれる。念阿良忠ら念仏の徒にとって、道綽・善導・法然は根本の師として仰ぐべき始祖たちである。
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2019.9.13
行敏訴状御会通
第二章諸宗を非とする根拠を示す
もし「一を是とし諸を非とするのが謗法」であるというならば、彼らの本師である道綽・善導・法然等三人もその教義も「謗法」であるということになる。したがって、良忠らは自らの師の説を否定する「逆路伽耶陀の者」すなわち師敵対、反逆の者になるではないか、との指摘である。
大聖人はまた、念阿らとは宗旨を異にする「律宗」の極楽寺良観に対しては、良観も念阿らの立義に同調して、これを正法正義とするのか、と詰問されている。