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2019.8.20

2019年08月20日 (火) 00:16
2019.8.20

おはようございます??70%↑30℃↓24℃
8月20日(火)
   
    
お昼の帰り際、ベルト購入?
痩せてベルトまで合わなくなってきたから。
妻「どこで買った?」
私「洋服の青山」
「な〜ん近くのしまむらの方が安かったとに」
「しまむらより青山の方が若い感じやね」


妻「休み明けだから忙しかろ?」
「忙しいけど気分はボチボチで」
「そうやん。ボチボチで行かんなら。
今までが暴走してきたけんね??
暴走しまくって破滅してきたけんね??」
「………」
「言われますなぁ? やっぱりそこに行く。ごめんばってん。
怨念の残っとるけん」
?

相続税の印鑑と最終金戴き一件落着?
夕方、税務署にも提出して完了。
明日も別件の相続税最終打合せし、午後まとめ。

「金(ゴールド)?を父が母にプレゼントした時は、税務署から贈与税の申告をしてくださいと言ってきましたよ」
「金の延べ棒はいついくらでお父様が買われたか『取得費』を確定するために、買われた貴金属店にナンバーでわかりますから、早めに書面に取っておいてくださいね」?

お客さん「通帳とゴールドは持っておくとやっぱり怖いので、銀行の貸金庫にそのまま置いといて、勝手に使わないように、もし黙って使ったら母の相続権利はないと、お互いに念書を交わし合いましたが、貸金庫のカギは私が管理しているので、やっぱり“魔のささやき”が忍び寄る感じですよ」
「欲のない所にお金が集まってくるのですね。羨ましい??」
??

お客さん「先生は創価学会ですよね」
「え………どうして分かりました?」
「事務所にルノワールとか絵画とか旗とか書籍が見えて……
国分寺にいますので富士美術館とか創価大学と近くですので」
?

帰宅、夕方17:11
妻「疲れたろ?」
私「でも奥さんの顔見てほっとした」
「よー言うよ!! 上手になった〜」

宛名不在リターンがこんなにいっぱい??
税理士会の名簿から出しているのになんで??



【一年前】
●福岡空港に先輩を迎えに
先輩「やー、顔艶が良くなったねえ?
なにその顔艶??」
  
●中国・四国・九州ほたる会総会
(公認会計士・税理士の人材グループ)
平成30年8月18日
福岡池田文化会館

●私の活動報告
4時間かけて九州・沖縄メモ
沖縄28枚
大分・宮崎・熊本16枚
計44枚
4sカード30枚予定
関与先330件(今年+30件)
職員6人
月次10(口コミ)個人20(広告)
冒険(仕事・女・上海)は終わって(爆)
☆今日は普段の会合で話せないこともok(爆)
お客さんが自然と増えてくるようになった

題目:昨日で2735万遍
読書:260冊(8年)
映画今年30本(笑)
ジム週3日
新聞毎日16紙(川内税理士の影響)
年金は75歳から
税理士は85歳まで
夫婦共に100歳で老衰で死ぬ!
(笑)
新事業承継税制(東京にセミナー4回)
9.1上海創価同窓の集い
9.16ほたる総会の前11時大誓堂個人参加
御書も全編読破中?

【二年前】
●来生たかお「夢の途中」
またまたFBで見つけた“私の歌”

「…スーツケースいっぱいにつめこんだ
希望という名の重い荷物を君は軽々と……」
?

1981年24歳東京から“都落ち”する時の
思い出の青春讃歌。私の19番♪

ちなみに18番は
中村雅俊「恋人も濡れる街角」?

※ただ今スマホの音楽260曲!
?

☆令和元年8月20日現在は329曲!!
?


◎いだてん
“オリンピックにおいて大切なことは勝つことではなく参加することである”
“人生において大切なのは勝つことではなく努力すること”
“制服することではなく よく戦うことだ”
クーベルタン

クーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ
(フランス語: Pierre de Frédy, baron de Coubertin)
1863年1月1日 - 1937年9月2日
フランスの教育者であり、古代オリンピックを復興させ近代オリンピックの基礎を築いた創立者である。
一般にピエール・ド・クーベルタン男爵と呼ばれる。

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問注得意抄
第二章問注に際する心構えを教示される

「又御供雑人等に能く能く禁止を加え喧嘩を出す可からざるか」
ここでは、富木常忍らの供をする人たちにも心を配るよう指南されている。本人はもとより、周囲の者にも相手の挑発に乗ることを戒めるよう指導せよと仰せられているのである。まことに用意周到である。

「喧嘩の出す可からざるか」と仰せられているのは、常忍らの供の者たちのあいだで喧嘩沙汰を起こさないようにと言われているとも考えられるが、やはり相手方の供の者と喧嘩してはならないことを言われておると拝することが妥当だと思われる。

供の者といえども、それぞれの主人の味方をして、感情的になりやすい。裁判の当事者であるということから、節操を忘れて暴言を吐く恐れもないとはいえない。思わぬところから、水が漏れることを大聖人は心配されているのである。

以上のように、数点にわたって大聖人は心構えを述べられたが、書きたいことは山ほどあるものの、本抄御執筆が問注の当日で、時間がないということを考えると、多く書いても意味がない。また、いくら書いても、実際の場に臨めば、その通りの展開になるとは限らず、予想外のことも起こるだろうから、臨機応変の対応が必要となる。

したがって、大聖人が仰せられたことの心をよく「斟酌」して対処するよう、と念を押されているのである。


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