おはようございます??↑35℃↓26℃
8月1日(木)
大牟田では18時だけ??90%になっています。
局部的な激しい雷雨になるのかも。
その時間、私は大牟田にはいませんが。
??
昨日は一日中「合併」をしておりました。
今月中に官報に合併公告を出して、R1.9.30に合併?
3月に一件しましたので、ほとんどその上書き。
今日は午後から佐賀で「遺産分割」の研修会(Mjs)
そしてそのあと“佐賀の夜”………楽しみです?
女性就業者 初の3000万人超(各紙)
女性の生産年齢人口(15〜65歳)の就業率はなんと71.3%!!
10人に7人は仕事している。?
65歳以上が特に増えていて、さらに増える見込みとのこと。
「女性」「高齢者」が人手不足を補う。
確かに最近はコンビニでも高齢のおばあちゃんが立っている。
それを言ったら、
妻「お父さんのお陰で私は仕事せんでいいから幸せ」
私「俺もそれがいいもん」
………娘まで「お父さんのお陰でご飯が食べられる」
?………「恵も上手になった〜?」
セブンイレブンのオーナー
法人設立一期目の決算打合せ
私「24時間営業云々でマスコミを賑わしていますけど」
社長「あ、あれはマスコミの騒ぎ過ぎです」
職員「奥様は通勤以外では車に乗ってあります?」
私「じゃんじゃん乗ってあるでしょう」
社長「………」
………奥様は“婦人部本部長”!!?
◎柳川ひまわり園
私も近々行ってみます??
自宅から22分です???
◎名字の言(7/31)
“「題目を唱える自由」以上の素晴らしい権利はない”
題目をあげる自由を選び取る限り、必ず試練は乗り越えられる。先生も青春時代、歩いていても、電車に乗っていても、いつも心で題目を唱えながらの闘争で、一切を勝ち開いてきた………。
【一年前】
●今朝は5時半に目が覚めて
ちょうど日の出の時?
やっぱり「早起きは三文の徳」
●『はちみつ』(聖教7/30p.6)
私は朝夕、“野菜スムージー”と“ふすまパン”に、はちみつを垂らして食べています。
ミツバチが短い一生の間に集めるはちみつはティースプーン一杯にも満たないほど。栄養価、保存性にも優れた、“自然からの恵み”。
「『ミツバチさん?、ありがとう』………
そのことに思いを寄せながら、今からは感謝の気持ちで口にせんといかん」
………言っている途中から、妻、
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
「おかしか〜どげんした!!……
そんなこと言よるとミツバチ?より、
お父さんのことば心配せんなんごつなる、
仏さんのごつなるとでけんよ」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
?
【二年前】
●国道389号線
大牟田の有明町が、国道208号線・501号線・389号線、3つの国道の起点だとは知りませんでした。さらにそこを起点にして、なんと有明海を渡って島原半島、天草市、牛深市、そして阿久根市まで行っているとは、地元でもほとんど知る人は居なかったのではないでしょうか。大牟田の再発見です!
〜どがしこでん8月号(月次関与先)〜
ちなみに501号線は宇土市まで繋がっています。へ〜!という感じです。
?
社長に電話ーー
「今月号は特に良かったですよ…よー考えらっしゃるですね…頭の血管の切れはせんですか?…心配しております!」
社長に「わはは…それはありがとうございます♪」
「法人向けの広告はゼンゼン?効果がないからまだ広告は先ですけど」
「あら〜そうですか?」
☆今は「相続税ならお任せください」が少しずつ効果が出始めている?
◎朴槿恵前大統領の弾劾→罷免→逮捕もやっぱり異常?
一度報道で火が付いてしまった民心は真偽そっちのけで瞬く間に朴槿恵大統領を罷免・逮捕まで追い込み、その勢いで文在寅氏を選んでしまった。………
朴槿恵前大統領に落ち度があったにせよ、………罷免を正当化するような重大な憲法違反や法令違反があったとは思わない。憲法裁判所も国民世論に押された判決を出したと思う。ただ、当時の熱気から憲法裁判所も冷静な判断できなかったのだろう。
………
裏を返せば革新(進歩)勢力による政権交代の目論見に、韓国国民がまんまと乗ってしまったという構図でもある。
………
韓国では「革新系は軍事政権と対峙する民主主義の擁護者」であるとのイメージが根強いため、その活動も「普通の韓国人」の支持を得ていたのだ。こうして見ると、文在寅政権は、文字通り「革命」によって誕生したと言えよう。
(武藤正敏「文在寅という災厄」)
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2019.8.1
問注得意抄 第一章 問注の実現を喜ばれる
四十八歳御作
与富木入道外二人
土木入道殿
本抄は、文永6年(1269)5月9日、日蓮大聖人が48歳の御時、富木常忍はじめ3人に宛てて鎌倉においてしたためられたお手紙であるとされている。御真筆は中山法華経寺に現存する。
ただし後述作の年次については、御真筆には「五月九日」とあるだけで、明らかではない。これが古来、文永6年(1269)とされるのは、本抄が、文永6年(1269)に著され同じ中山法華経寺に存していた「法門申さるべき様の事」のなかに含められていて、その後、別の御抄と判明したが、年次のみは同じとして伝えられたことによる。
別々の書であると分かった以上、本抄が文永6年(1269)の御述作とする確かな根拠はなく、文永8年(1271)・文永3年(1266)とする説もあるが、いずれも確証がなく、ここでは文永6年(1269)説に従うことにする。