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2019.7.18-2

2019年07月18日 (木) 00:16
2019.7.18-

【一年前】
◎公明党福岡県本部決起大会
吉田前衆議院議員に
私「私は場違いのような感じですけど。党員と言っても末端、何の影響力もない人間」
前議員「いえいえそんなことはありません」
「電話をかけまくるだけですけど」
「充分ですよ」

濵地雅一県代表とトイレで
「いつも緻密に新聞を………線を引いてあるところから読ませて貰っています」
私「わ、ありがとうございます」
(ちゃんと見てくれているんだ)
?

高木勝利・福岡市議会議員に
私「あ、いつもFBでお世話になってます」

◎元春日中学大城校長
目の当たりにしたのは私だけ(笑)
日々の情熱が日々ほとばしる先生
昼休み、いつもいない………体育館に
まるでスイミングスクール
教師はだいたい体育の授業はふんずり返っているけど(爆)
月二組見学に
はよ帰ればいいのになあ(爆)
ニュースステーション(爆)
「最大の教育環境は教師自身」
「下野先生、やればできる??」(爆)
 
◎山口代表
中国との交流
日本で公害問題の経験を役に立って貰いたい
習近平「その通りです」

教育の党・公明党
教科書無償化も柏原やすさん、
野党でありながら実現していった

幼児教育無償化も実現したではありませんか
大学授業料無償化
私立高校無償化

いじめ 22万
未然に防止
なによりも「いじめは絶対に許さない」
しもの六太
国会議員を再教育して貰いたい(笑)

これからも大城先生にあちこちで!
???
   
 
◎新・人間革命第10巻  
●『臆病の岬を越えよ? 勇気を持て? 
根拠のない妄想を捨てよ?』

エンリケ航海王子(イラスト)
(1395-1460年) エンリケ航海王子自身には航海の経験はないが、積極的に地理学者や航海者を援助した。香辛料交易とプレスター・ジョンの教国と手を結び異教徒と戦いたいと考えていた。そのため航路の開拓を急いでいたが、その完成を見ずに死んだ。

暗黒の海を越えた最初の成功者、船乗り ジル・エアネス
 王子の馬屋係であったジル・エアネスが、岬を越える冒険に乗り出した。一度目は失敗したが、二度目の1434年に成功した。この成功は他の大航海者の陰に隠れて目だたないが、勇気ある真の第一歩と言うべき偉大なものである。何故ならば、宗教や古くからの伝説という呪縛から解き放された進歩だからである。いまからは創造することが出来ないが、恐ろしいほどのプレッシャーであったのだ。こののち多くの航海者が、彼に続いて岬を越えていったのである。

偉大なる一歩
『 1434年にそれまで、海の終わりと信じられた「不帰の岬」(ボジャドール岬)をジル・エアネスが越えた。そこは当時の人に、海が奈落の底に落ち込むところであり、白人が黒人になってしまう灼熱地獄があると信じられていたのである。歴史では目立たないが、未知の海に乗り出した記念すべき第一歩である。』  (『大航海時代』ボイス・ペンローズ著 筑摩書房刊)

『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』

●「願くは我が弟子等・大願ををこせ」
「とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」

壮年には力がある。それをすべて広宣流布のために使っていくんです。

その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか? 今、戦わずして、いつ戦うんですか? いったい何十年後に立ち上がるというんですか? その頃にはどうなっているか、わからないではありませんか。



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2019.7.18
十一通御書 長楽寺への御状

本書状は文永8年(1271)10月11日、日蓮大聖人が47歳の御時、鎌倉・松葉ケ谷でしたためられ、浄土宗の長楽寺へ送られた書である。住僧がだれであったかは不明である。

長楽寺は、日本浄土宗の開祖・法然の孫弟子である智慶の開基とされる。当時は鎌倉7大寺のひとつに数えられていたが、現在は跡形もなくなっている。

智慶は南無房ともいい、関東の出身で、初め天台宗を学んでいたが、京都の長楽寺隆寛の弟子となり、浄土宗に帰依した。守護国家論に彼が法華経を誹謗した言として「或は絃歌等にも劣ると云う南無房の語」(0048−17)との記述がみられる。


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