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2019.7.17-2

2019年07月17日 (水) 00:27
2019.7.17-

◎大阪大会 記念日
●池田青年室長を不当逮捕
7月17日は「大阪大会記念日」です。1957(昭和32)年のこの日、創価学会にとって重要な節目となった大阪事件を受けて、「大阪大会」が開かれました。
大阪事件は、この年の7月3日、学会勢力の台頭を恐れた当時の検察権力が、池田大作先生(当時青年室長)を、不当に逮捕・勾留した事件です。同年4月の参院大阪地方区の補欠選挙では、一部の学会員が選挙違反容疑で逮捕されてしまいました。これを、学会に打撃を与える絶好のチャンスと捉えた当時の検察は、逮捕した会員たちを恫喝したり、騙したりして、池田青年室長の指令で選挙違反をしたという虚偽の供述を引き出し、ついに無実の池田室長を逮捕するに至ったのです。

●学会の正義を満天下に示す
逮捕された池田室長への取り調べは、深夜まで続く過酷なものでしたが、室長は敢然と無実を主張しました。しかし、「罪を認めなければ、次は戸田会長を逮捕する」という検察の脅迫に、“衰弱した戸田先生を投獄させるようなことがあってはならない”と、師と学会を守るため、いったんは罪を認め、法廷闘争で身の潔白を証明することを決意。逮捕から2週間後の7月17日に、大阪拘置所を出所しました。
その直後の同日午後6時、中之島の大阪市中央公会堂において、歴史的な「大阪大会」が開かれました。天の怒りのような凄まじい雷鳴が響き渡る中、池田室長は火をはくように叫びました。「最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
この日、池田室長に「戦いはこれからだよ。御本尊様は、すべてわかっていらっしゃる。勝負は裁判だ。裁判長はかならずわかるはずだ」と語った戸田先生。池田室長は裁判で真実を証明することを深く決意し、84回に及ぶ法廷闘争を戦い抜きました。
師の言葉通り、晴れて無罪判決を勝ち取ったのは、それから4年半後の1962(昭和37)年1月25日のことです。この判決によって、学会の正義が満天下に示され、事件は学会の大勝利で終わったのです。

●「出獄と入獄の日に師弟あり」
池田青年室長が逮捕された7月3日午後7時というこの日この時刻は、くしくも、1945(昭和20)年に第二代会長戸田先生(当時理事長)が出獄したのと同日同時刻でした。
夕張から羽田経由で大阪に向かう池田室長を見送りながら、検察による取り調べの過酷さを身をもって知っていた戸田先生は、池田室長の肩を抱き「死んではならんぞ。大作、もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と語ったといいます。
また、池田室長が勾留されている間、戸田先生は衰弱した体をおして、みずから大阪地検に室長の不当逮捕への抗議に出向きました。池田先生は「足もともおぼつかぬ憔悴したお体で、手摺にしがみつくようにして階段を上り、大阪地検にも抗議に行かれた。後にその話を聞き、師のありがたさに、私は涙した」と語っています。
のちに池田先生は、7月3日にちなみ「出獄と入獄の日に師弟あり」と詠み、無罪の判決を見届けることなく生涯を終えた恩師を偲びました。
   
        
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十一通御書 長楽寺への御状

敢て諸宗を蔑如するに非ず但此の国の安泰を存する計りなり、恐恐謹言。
文永五年十月十一日                    日 蓮 花 押
謹上 長楽寺侍司御中

これは、あえて諸宗を蔑如して申すのではなく、ただこの国の安泰を思って申すのである。恐恐謹言。
文永五年十月十一日                  
日 蓮 花 押
謹上 長楽寺侍司御中


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