おはようございます??70%↑27℃↓22℃
7月14日(日)
朝
私「今日も映画を2本見てくる」
妻「そげ〜ん映画見てどげんするね?」
「心に響く!!」
「心に響く!? 聞こえんばってん」
「晩御飯は?」
「そらぁ奥さんの手料理食べに帰ってくるよ」
「上手になったねぇ」
「うん、最近はサラッと言うようになった」
夜
私「今日も感動的な映画だった」
妻「そうね。ならあとは人間革命あるのみ!!
少しは変わらんなら」
◎名字の言(7/12)
「宇宙飛行を成功させる鍵として、
仲間に対して『尊敬と感謝の気持ち』を持てるかどうか」
ーーこれは職場にもいえる?
職員に対して、お客様に対して、
『尊敬と感謝の気持ち』を持てるかどうか!!
肝に銘じておこう??
朝の勤行で決まる?
?
◎韓国にも正視眼の人がいるもんだ??
「日本の学者や知識人は、われわれが望みもしない不必要な同情心を持っている」
「鳩山氏の言動は韓日のためにはならない。………問題の解決どころか、深刻化させている。同情が韓国人の心に火をつけているのだ」
「韓国政府は国益を考え国民を守らねばならない。その前に重要なのは国同士の約束を守らねばならない」
???
【一年前】
●半分、青い
私「あんまし、簡単にくっつきすぎやん」
妻「ドラマたい、お父さんとは違う」
「トップオブザ面食い」
私「奥さんのようだ」
「そうたい?私も面食いだったとばってんね………
よかたい、もう32年も持ったけん、帳消し」
?
【二年前】
上海商工クラブ サービス部会
11:00〜12:00 研修会
「中国小売り市場の変化と日本企業のチャンス」
講師: 株式会社アジア通信社代表取締役社長 徐静波 氏
12:00〜13:00 懇親会
中国では今、店舗よりネットが2倍以上売れている。だから日本企業も、ただサービスを提供するのでなく、もっと研究しないといけない。
タオパオが独勝。代表は孫正義。?
アリババが開発した
※食事時、たまたま同じ席になった方
?在上海日本総領事館 F副領事
「中国人はクリーンなマネージメントができない」(笑)
「あ〜なるほど〜」
?NTTコミュニケーションズ中国
I常務副総経理
「中国でAIIBを日本はどうするかを議論しているときに、
日本のテレビを付けたら、加計問題」(爆)
「この国は大丈夫かなと思いましたよ」(爆)
◎11:00羅生門
88分1950年
監督:黒澤明
出演:三船敏郎 京マチ子
35ミリ/モノクロ/88分/大映
平安時代。羅生門で雨宿りをする二人の男がさきほど見た裁判の話で悩んでいた。盗賊の多襄丸が武士を殺して、妻の真砂を犯したという事件だった。ところが証言した者の内容がすべて食い違っていたのだ。原作は芥川龍之介の「藪の中」。脚本はこれがデビューである橋本忍。証言者が自分に都合の良い証言をして真実がまったくわからないというこの作品は、51年ヴェネチア映画祭でグランプリを獲得。世界中の監督に影響を与えたといって過言ではない傑作である。黒澤明監督は第1回(1990年)創設特別賞受賞。?
☆真相は「藪の中」に!
◎14:00頬にキス
?A Peck on the Cheek2002年/136分/インド
監督:マニラトナム
音楽:A.R.ラフマーン
出演:P.S.キールタナー マーダヴァン
2002年/35ミリ/カラー/136分/インド/日本語・英語字幕付き
南インドのチェンナイ。アマダーは9歳の女の子だが、誕生日の日、実は養子であることを知らされる。本当の両親はスリランカにいることを知ったアマダー。ショックを受けた彼女を励ますため、一家はスリランカに本当の母親を探す旅に出かける。民族独立を目指す組織との内戦が続くスリランカを舞台に、マニラトナム監督の娯楽性豊かな語り口が本作でもいかんなく発揮されている。目を奪うような美しい風景にA.R.ラフマーンの音楽が見事にマッチする。音楽のA.R.ラフマーンは第27回(2016年)大賞受賞。?
「心配する時の君は一層美人だ」
………お、これは奥さんにパクれる??
☆誕生した日に………「なぜ私を捨てたの?」
とても感動的な映画でした。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
十一通御書 多宝寺への御状
最後に、同じ趣旨の書状を時宗など幕府要人・諸宗諸山の高僧へ送付したが、いずれも「敢て日蓮が私曲に非ず」、つまり身勝手な私見で言っているのではなく、すべて経文に基づいた諌言であると、はっきりした返事を待ちたいと、公場での対決を要求されている。
「言は心を尽さず書は言を尽さず」との御文は、建長寺道隆への御状にもみられるが、言葉は心を尽くすことができず、また文章も言葉を尽くせないから、ここで省略すると、本書を締めくくられている。
末尾にある「多宝寺侍司御中」の「侍司」は「侍史」とも書き、傍に侍する人の意、また相手に手紙を直接差し上げることをはばかるという謙虚の意をあらわす。