おはようございます??80%↑23↓21
7月13日(土)
今日も福岡市の施設シネラで映画を2本見てきます。
一本は黒澤明監督、三船敏郎出演の『羅生門』88分1950年
◎pm2:20〜3:56筑豊91件?
同じ福岡県内ですけど、私にとってはほとんど新規開拓?
田川28、本人4、○19、不在5
飯塚35、本人5、○26、不在3、?1
直方28、本人6、○20、不在2
計91、本人16、○65、不在10、?1
「お客さんから聞いていて入れるようにしています」が1件、
「そういうことはうちには関係ないです」が1件!!
?
筑後地区319件、本人89人、伝言182人、不在45人、?3
筑豊地区 91件、本人16、○65、不在10、?1
兵庫 20件、◎5、?4、△1、不在5、〒5
合計430件
☆来週は………
行橋32門司30若松62計124
小倉189
八幡170
計483
累計見込み913!!
………1000件まであと87件!!………個人的人脈で??
◎マッサージの女性も
昨日たまたま天神を歩いていたら安部首相の街頭演説に出くわし、折角だから最後まで聞いてましたよ?
「え、そうね?? それは良かった?
今日も今までギリギリまで91件、電話してきたところ」
◎ベストレセラー『応仁の乱』呉座氏を招いて
演題「室町将軍の再評価ー本当に弱かったのか?ー」
日時:8月3日(土)午後1時30分〜午後3時
講師:呉座勇一氏
九州国立博物館1階ミュージアムホール
を申し込みます。
◎うちの猫「ミー」
最近食欲がなくなってきた………
「そろそろ亡くなった時のことを考えておかないといけない」
死んだ時は動物専門の火葬業者にお頼み、
私「お経はいいですからと言う」
妻「あはっ?題目で送ってあげるといい」
私「火葬したあとの骨は?」
妻「骨は家に置いといて、一部はペンダントにしてもいい」
「九州メモリアルパークにはでけんとかね?」
「な〜ん、そんなことはでけんとたい」
「そうね。一緒に保管できんとかね?」
「な〜ん、動物は入れたらでけんように決められとると」
「亡くなった光太の生まれ変わりと思っているから」
「私もそう思う。ばってん動物はでけんと」
「そうね。今度メモリアルパークに聞いてみようかね」
「な〜ん、恥ずかしか」
「こそっと入れたらでけんかね」
「そんかこつしたらでけん」
「どうせ先は一緒にいて、成仏して来世は人間に生まれてくるように」
「しっかりお題目聞いとらすけん、成仏して来世はちゃんと人間に生まれて来らす」
「恵の子供に生まれてくるかも」
「そうだったらよかばってん」
「ばあちゃんは恵太の子供として生まれ替わって来らすばい」
?
【一年前】
商工倶楽部サービス部会
11:00〜12:00 研修会
参加者約50名
「古典から読み解く中国式マネジメントの神髄〜頼朝・家康も学んだ『貞観政要』の世界〜」
12:00〜13:00 懇親会
上場企業の社員教育を主にされている。
歴史オタクです。
四千年前の青銅器
今の技術では絶対に作れないという。今の技術は四千年前の技術に劣る。
歴史が始まるのは、
中国は夏の時代から5000年。
日本の歴史はたかだか1500年。
紀元前5世紀前後に世界各地に宗教
7世紀、世界の二強は、唐とイラン
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
(ビスマルク)
中国では悪い皇帝は殺していいという思想が根本としてあるので、皇帝が自らを律するツールとして『貞観政要』が作られた。中国では下が上を殺すので、下が腐敗した。日本は上が下を殺すので、上が腐敗した。
(なるほど)
【二年前】
「おー自宅周辺が見える!」
福岡空港を離陸し、いつもは霞がかかってはっきりは見えないですが、今日は視界がとても良好、綺麗でくっきりと見えました。
有明海、大牟田の初島、いつも通っている有明海沿岸道路、そして……
「あ、あの辺!おー自宅周辺が見える!」
ちょっと感動しました。?
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十一通御書 多宝寺への御状
この御状の内容は、初めに、日蓮大聖人が文応元年(1260)7月、故北条時頼に上呈した立正安国論を披見したかどうかを問われ、その安国論は9年前、「未萠」すなわち、事の末だあらわれないうちに、他国侵逼難を予知して著した書であると、御自身が“兼知未萠”の聖人であることをほのめかされている。
その予言通り、今年の正月、蒙古国の「牒状」が到来したのであり、この厳とした事実を前にしては「何ぞ驚からざんや」とどうして目覚めないのかと述べられている。
「縦い日蓮は悪しと雖も」とは、大聖人を憎いと思う人は別にして、との意である。
重要なことは「勘うる所の相当る」、つまり予言が的中したという事実が眼前にある以上、日蓮大聖人の言葉、諌暁を用いるべきであると仰せられている。
未曾有の国難を前に、国の前途を憂える人であるなら、個人的感情はどうであれ、謙虚な心で教えを請うべきであろうとの意である。
そして、早く一所に集まって評議すべきであると促され、もし大聖人の諌言を用いない時は、今生には国を滅ぼし、後世では無間地獄に堕ちること必定であると断じられている。