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2019.3.17

2019年03月17日 (日) 01:27
2019.3.17

◎創価大学文学の池
私の一番好きな場所、
ありがとうございます???

◎上海からも
忙忙碌碌的不?意???春的脚?已悄然来?!??散?着春的气息? ?美景无?不在哈!

忙しいのに気づかないうちに春の足が忍び込んできた!どこにでも春の息吹が漂っています。

◎朝
ストーブの前で妻はまた白い肩を出して着替えている………
「写真撮ろうか」
「盗撮で捕まる」
??

娘「お父さん、孫は欲しか?」
私「そら欲しかくさい」
娘「………待っててね」
私「………………至らんこつ言わんがよかね」
妻「そう、至らんこつ言わんがよか」
私「うん待っとく」
?

◎国税庁 電話合計
【二年前】4日間で230件
【一年前】8日間で617件
【今年】 8日間で603件
   
    
◎グリーンブック
9:25-11:45

勇気が人の心を変える

「ニガーはやめな」

ニガー(英語: nigger)
主に英語圏において、一般に黒人を指す蔑称として用いられるスラングの一つである。和訳は黒んぼ、黒奴など。

少なくともアメリカ合衆国においては、アフリカ系アメリカ人に対する差別用語と見なされることから、今日ではこれを避けて"N-Word"という婉曲的表現が用いられることもしばしばである。

アメリカの根強い差別。
トイレ、レストラン、ホテル………
なかなかいい映画だった。
?

◎ラフィネマッサージ
「昨日と今日はまだべっぴんさん見てないからちょうど良かった」
「あはは、ありがとうございます」

妻もポイントで?


◎有給休暇5日取得義務化
2019年4月から
「すべての企業において、年10日以上の年次有給休暇が付与される労働者(管理監督者を含む)に対して、年次有給休暇の日数のうち5日については、使用者が時季を指定して取得させなければならない」
違反した場合は30万円以下の罰金

中島(洋):4月1日(月)〜5日(金)
中島(美):4月8日(月)〜12日(金)
狩野: 4月15日(月)〜19日(金)
☆地方統一選後半戦
山下:7月29日(月)〜8月2日(金)
高口:7月29日(月)〜8月2日(金)
☆税理士試験直前一週間前
※話し合って振替・交替・希望可!!

☆うちは休みだけは一流????
『完全週休三日制』
『プレ金』
『五日間指定有給休暇』
我ながら凄い?
妻も「そうよ、聞いたことがない」
??

☆『有給休暇完全(10日)取得したら一万円?』
休んで給料が貰える?
妻「そんなの聞いたことなかよ」
良すぎる?
でも、300人の年末調整したら寝付けない日々が続くなどの弊害を、せめて『有給完全取得』で少しでも体と心を休めたら、会社としても必要なこと。
?

◎名字の言(3/16)
「理性は羅針盤で、欲望は嵐」

☆確かに??


◎夕飯の食卓
私「恵と一緒にご飯食べられるようになったのが一番」
娘「それはお父さんが至らんこつ言わんごつなったけんたい」
私「恵ちゃんが変わったけんたい??」
?


◎震災8年、変わらぬ野党
「揚げ足取りがうまくいかなくなると内輪もめし、内輪もめが一段落すれば、また揚げ足取りに精を出す」
「現実を直視せず、頭で考えた理想を追い求め」
「多くの問題は法律家的思考で、単純に正邪を色分けしてしまう」
「だれもが『オレが正しい』」
「『オマエは軟弱だ』と批判される………
なら分かれた方がマシと考える………
だから内輪揉めが絶えない」
(長谷川幸洋氏)

☆ほんとに情けない。
?

◎ 『狷介固陋』(けんかい-ころう)
かたくなに自分の意志を守って、人のことを受け入れないさま。また、かたくなで頑固なさま。

「狷介」は自分を固く守って妥協しないさま。
「固陋」は自分の狭い視野にとらわれてかたくななさま。
句例 狷介固陋な性質
類語 
頑迷固陋がんめいころう
狷介孤高けんかいここう
狷介孤独けんかいこどく
狷介不屈けんかいふくつ
孤独狷介こどくけんかい
風岸孤峭ふうがんこしょう
活用形〈―ナ〉

◎源義仲(火牛の計、倶利伽羅峠の戦)にまつわる歴史伝承、平氏の打倒、源平の争乱

倶利伽羅峠(くりからとうげ)
越中(富山)と加賀(石川)の県境にあります。源平盛衰記(編者不詳、14世紀頃成立?)によれば、平安時代の末期、1183年(寿永2年)5月11日(新暦、6月2日)、この峠で、源義仲(みなもとのよしなか、木曽義仲とも、30才)率いる4万の軍が、数百匹の牛を集め、火牛の計(かぎゅうのけい)の奇襲により、平維盛(たいらのこれもり、27才?)の10万の大軍を破った、と伝えられています。 この戦(倶利伽羅峠の戦、砺波山の戦とも)は、平氏滅亡の一因となりました。
 
火牛とは、牛の角に刀を束ね、尾に葦(あし)を結び付けて点火し、夜に乗じて敵軍に放つもので、そのルーツは、古代(紀元前284年)、斉(せい、中国)の田単(でんたん、生没年未詳)の奇策(火牛の計)、と伝えられています(司馬遷、史記、前漢)。


◎べっぴんさん
成功とは………
誰かの笑顔を想像しながら日々過ごすことかなぁ
?
   
   
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

十一通御書 
平左衛門尉頼綱への御状 
第三章 式目を挙げ対決の公許を求む

この式目を見れば、「非拠」すなわち正しくない行為を制止すべきことを為政者の責務としていることから、亡国の元凶である謗法の諸宗を禁ずべきであると言われているのである。そして、大聖人の「愁訴」、すなわち国を憂えての訴えを、どうして取り上げないのか。取り上げなければ式目の起請文をやぶることになろう、と言われている。

「御祈請の文」とは式目の末尾にある誓いの文のことである。その末文には「もし一事といえども曲折を存じ違犯せしめば…神罰・冥罰をおのおの罷り蒙るべきなり。よって起請、件の如し。貞永元年七月十日」とあり、その下に執権・連署・そして評定衆11人の署名加判している。

つまり、大聖人は、頼綱に対し、式目の条文、起請文通り、大聖人の訴え、諌暁を取り上げて、正しく対応するよう求められているのである。そして、同趣旨の諫状を「鎌倉殿・宿屋入道殿・建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏殿・長楽寺・多宝寺・浄光明寺・弥源太殿並びに此の状合せ十一箇所に送ったと述べられている。11ヶ所の宛先名を明かされているのは平左衛門尉が、当事者たちを執権のもとに集め、評定を行い、どうするか決めたうえで推進役となりうる立場にあると見られたからであろう。ゆえに「各各御評議有って速やかに御報に預かるべく候」と、評議のうえ、一日も早く公場対決の公許を計るよう要望されている。


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