Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2019.1.8

2019年01月08日 (火) 00:27
2019.1.8


39.2度?
インフルエンザのようだ。
> 休んでおく。

病院で図ったら37.5度。
鼻に綿棒のようなものを入れて検索………
「インフルエンザのようではなさそうですけど、熱が下がらなかったらまた来てください。薬を出しておきます」
私「抗生物質はしないようにお願いします」
「なら漢方薬と熱冷ましの薬で」

夜図ったら38.4度。

私「お医者さんは家族はなりましたかと聞かれけと、数年前かかったような………」
妻「二年前私と恵がインフルエンザになったけど、お父さんだけケロッとしていたので、『なんで?』、はがいかった」
「俺自身が『魔』だから強いけど、今回は支持者カードを70枚も書いたから“知恵熱”かな」
  
   
    
【二年前】
朝10時、関与先(社員250名)の新春恒例の「年度計画発表会」。来賓は、市長、福岡県、経済産業省、銀行3行(西日本・福岡・三井)、投資育成会社……等11人。そのトップに「高瀬ひろみ」の名前が。
「お、やっぱり高瀬さんが来る!」

「来賓の皆様、どうぞこちらへ」
歩いてたら、「あ、高瀬ひろみさん!」
「わーこんにちは♪」
……
「こちら職員の山下です。折角ですから3人で写真を!」。
高瀬さん「わー喜んで!」
(スタッフより「時間が……」)
私「では後ほど賀詞交換会で」

高瀬さん挨拶で「実は私は今年年女なんです。36か24かは皆様のご想像にお任せして…」(笑)

昼1時、公明党賀詞交換会(久留米)。
乾杯が終わったらすぐに、奥さん連れて木庭健太郎さんと高瀬ひろみさんの元へ!
高瀬さん「あー先程はどうも。ではここでお写真を撮りましょう!」

ーーということで、高瀬ひろみさん、奥さん、私の三人で写真を撮ることができました。今日の最大の収穫でした。FBのプロフィール写真を即これに替えました。?

奥さん「鼻の下延ばして〜!」???

私も今年年男。いい年になりそう!?

夜、新春幹部会。
8日(日)9日(月)2日間で北九州を10件程回ってきます!?

【一年前】
?雷神風神は……
『家康』(社長)と
『光悦』(私)のこと?
?

大坂落城から一ヵ月。
−−本阿弥光悦の眺めた現世は手のつけられないほど堕落と混乱の世界であった。
どこにも「正法−−」は行われず、どこにも爽やかな「美−−」はなかった。

(人間というのは、どうして、こうも愚かなものであろうか?)

「あ、雷神の絵だ?」
光悦は眼を丸くした。デンデン太鼓を打ち鳴らして、空駆ける雷神を描こうとしているらしい。しかもその雷神のとぼけた童顔はどうであろうか。威厳もなければ鬼気(きき)迫る………と、いった感じもない。祭り囃(ばや)しに浮かれて出てきた宗達そのもの………といった臍(へそ)とり物語のカミナリ親爺だ。
(とぼけた男だぞ)

(これは宗達ではない。が、どこかで見た顔だぞ)

「へへ………」

「申し訳ない」

「ははあ、それでわかった? するとあれは、この光悦であり、そして、また二条城の………」

「生命が何じゃ? この世はなあ、日蓮聖人の仰せにそむいて、汚れや歪みに眼をつむり、御無理ごもっともで生きてよい世界ではない。それでは生を盗む盗賊じゃわい」

家康に、最後の意見をしたうえで、俗世間からは隠れよう。北条氏に強意見をつげた後、身延にかくれた日蓮聖人のように………その決心を、ゆくりなくも宗達がさせてくれた。宗達はよい友達だった………

「柿茶碗−−」

掌(てのひら)の中に宇宙をつつむ………

(みじんも言葉など飾るものか。これが日蓮聖人と二人で生きる本阿弥光悦の面目なのだ)

「そうか。よくいうた………」

阿茶の局は、駿府で家康の側に仕えていた。上総介忠輝の生母“茶阿の局”とは別人である。

(これだけ毒ついても、なぜ家康は怒らぬのか?)

「あの千姫さまを江戸へ………まあ?」

「そうではない。あやつをわしは好きなのだ。どんなに悪しざまに罵られても」

光悦もむろん尋常の男ではない。やがて家康の苦心と好意を知って泣くであろう。

………武家諸法度(しょはっと)十三ヵ条とともに、禁中及び公家(こうけ)の憲法を制定することになっていた。
(もうまたほかのことを………)
勝重は改めてきびしい家康の人生を仰ぎ直した。



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

十一通御書 北条時宗への御状 
第二章正法への帰依を勧める

仁王経に云く「一切の聖人去る時七難必ず起る」と、 

仁王経には「一切の聖人が国を捨て去る時、七難が必ず起こる」とある。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: