◎朝10:30
「お母さんは?」
娘「カーブス」
(30分の女性だけの健康体操教室
もう2年半続いている)
「お父さん今日は飯塚で9時位帰ると言っとって」
?
妻よりLINE「今夜は晩御飯いると?」
「お世話かけますけど、いる??
21時位
古代史連続講座、飯塚市」
「Ok」
【一年前の今日】
◎加藤公認会計士
聖教11月16日p.5。
ほたる会 (会計士・税理士のグループ)の先輩。年に一度、九州四国中国合同総会で高松から福岡市に午前中来られ、懇親会の途中20時頃に退席され、いつも−−
「今から今日中に高松に着くんですね」。
?
◎タルバガン
シベリアマーモット(Marmota sibirica)は、齧歯目リス科マーモット属に分類される齧歯類。生息地ではタルバガンとも呼ばれる。
モンゴルでは遊牧民が肉を食用とする[3]。マルコ・ポーロも『東方見聞録』の中でタルタール人の食文化について「この辺り至る所の原野に数多いファラオ・ネズミも捕まえて食料に給する」と記述しており、この「ファラオ・ネズミ」はおそらくタルバガンだと考えられている。
再び表れたベルグティの手には、タルバガンが握られていた。
「ほう、見事な」
「あれは、ベルグティしかできません。地に落ちたものを拾う、というのはできるのですが。タルバンガンを追いかけるように、馬をあやつっているのです」
◎長崎歴史文化博物館
梅屋庄吉生誕150周年・明治150年記念企画展映画界の風雲児『梅屋庄吉』
追悼特別展『高倉健』
◎古代史連続講座
飯塚市立岩交流センター
13:30-17:00
〜遠賀川の古代文化と邪馬台国〜
『不彌国の都、立岩遺跡を探索』
不彌国
不弥国(ふみこく)は、3世紀に日本列島に存在したとされる国のひとつである。
『三国志』「魏書」東夷伝の通称「魏志倭人伝」によれば、不弥国(不彌國)は、奴国(または伊都国)から東へ百里の位置にあり、長官は多模、副官は卑奴母離と呼ばれ、1000余の家がある。
「東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家」
宇美(福岡県宇美町)や穂波(同飯塚市)のこととする考えもあるが、地名の類似以外には証拠はない。
不彌国は東西南北の交通要衝
ぎしわじんでん
島から島へは「渡る」
海は「水行(すいこう)」
海は渡ってない
九州だけで完結
中国の皇帝へ
秦の始皇帝
(ふに)国は基点
立岩遺跡は、弥生中期の遺跡群
中核的拠点集落
かめかん?
ごみ捨て場
6〜7箇所の集団(共同体)
1集落20人程度
弥生時代中期〜後期100年位
1世代20年×5世代
ソウルの西から海を渡って………水行
渡る
渡ると水行は違う
不彌国からは………
海を渡ったとは書かれていない
陸に沿って行っている
九州を出ていない
30国
皇帝の使者
儀礼をしながら行かないといけない
継体天皇
今の行橋に上陸して宮崎、鹿児島、………
筑紫まで8年かかっている。
奴国(なこく)との関係
立岩式石包丁
最大のお客さんは『奴国』
支払いは朝鮮中国の文物
奴国(なこく、なのくに)とは、1世紀から3世紀前半にかけて、『後漢書』「東夷伝」や「魏志倭人伝」にあらわれる倭人の国である。大和時代の儺県(なのあがた)、現在の福岡市付近に存在したと推定される。
奴国………よくわかっていない
博多東区、春日市、那珂川町
西区、早良区はもう別の国
弥生〜古墳〜飛鳥〜奈良
早良区も独自の国
奴国に吸収されたのでは
奴国は限られた地域
しかし交易で勢力
最大の集落
Q1)なんで衰退していったか
Q2)なんで石包丁?
奴(な)国を中心とした連合大勢
後期大きな変化
気候変動
稲作の凶作
石包丁が衰退
奴(な)国からは大きなお墓が出てない
伊都国が急速に台頭
単なる衰退ではなく朝鮮半島との関係で台頭していく
弥生末期から鉄器
石から鉄の時代へ
〜4世紀まで
遠賀川流域の副葬品
西から東へ
大和政権がいかに抑えていくか
青銅器の制作
筑紫平野に大集落が出現
吉野ヶ里
志賀島は奴国ではない
墳墓は出てこない
神なる島
下賜か謙譲か
下賜はない
謙譲